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僕にとってのヒーローは間違いなく父・星野一義ですね。それは物心ついた時からずっと。家にはレース雑誌もあって活躍ぶりは見て知っていたし、(父の乗ったレーシングカーの)ミニカーで遊んでいました。レースには覚えていないころ連れて行ってもらったようですが、父は僕にレースをやらせたくない一心で遠ざけていました。テレビで見るサーキットの父と家にいる父は全く別人。家にレースを一切持ち込まなかったですからね。だから普段は一緒にキャッチボールをしたり、サッカーのボールを蹴って、普通の人を演じていました。でもレースの1〜2週間前に自宅で暴れたのを見たことがあって、そのときは家の中が戦争状態でした。僕もレース前になると、真似をしているわけではないのですが、口数が減るしレース前にはイライラしてきます。
父の反対を押し切って、大学卒業と同時にカートをやり始めましたが、一緒に走っているのは子どものときから走っていたりスクールの卒業生だったりで経験豊富。そんなときF1日本GPを見に行って、(黒澤)琢弥さんから「朝から晩まで一日中走ることのできるイギリスに行って、腕を磨いて来い」って言われたのです。その日の夜に親に話をして頼み込んで渡英しました。イギリスには2年いたのですが、母はしょっちゅう電話してきました。でも父は、「技術的なことは自分で体得するものだ」っていう人でしたから、連絡はほとんどなかったですね。
今は「何やってんだお前」って言われますよ。厳しいですが、ある意味、父からの激励だと思っています。今は別々に暮らしていますが、ときどき一緒にゴルフでラウンドして話をしています。これからもいろんな人のいい部分を盗んで、僕ももっと早く父を不安にさせないようにしないといけないですね。恵まれていることに、トップドライバーの本山(哲)さんが身近にいるので、私生活から一緒に行動させてもらっています。本山さんからは技術的なことはもちろん、レースに対する取り組み方など学ばせてもらっています。レースをする環境はすごく恵まれていると思うし、もっと速くなって結果を残して周囲で応援してくれる方に報いたいと思います。
二輪でも四輪でも、そしてどんなカテゴリーでも勝ってきた父を超えるなんて、それは絶対にできないこと。速かったし優勝して格好良かったし、実際、中学生のころからレーサーになりたくて仕方なかったのです。父はレーサーなんて危険でつらい仕事なのだから、大学出て公務員やって安定した生活をしてほしかったようですが。
僕にとって星野一義は、父であり子どものころから憧れ続けたヒーローなのです。
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