du 6 au 7 juin 1998

du 7 juin 1998
レースリポート

Summary
32号車は、星野一義選手、鈴木亜久里選手、影山正彦選手の3人でチームを編成。

今年のニッサンチームのル・マンは、昨年ル・マンでの成績などから、それぞれがそれぞれのプレッシャーの下でのレースとなった。

星野選手は、当然レース人生の総括として「最後のル・マン」を公言、と共にチームのまとめ役としての役割を担った。

ある種一番大変だったのが、予備予選・予選のタイムアタックなどチームのエース的存在鈴木亜久里選手で、「今年のル・マンは大変だった。今回は3人共、目的を解って走ったから3人がノーミスだったと思う。エンジンのパワーとしては、もう少し欲しいけれど駆動系などは日産内製で世界にも満足できるもの。スタート時とフィニッシュ時もほとんどフィーリングは変わらなかった。マシン的に言えば、あと5、000キロでも行けると思う。いい結果に繋がって満足している。だけど、ル・マンと言うと朝日や夕日、雨の中だとか、どうして悪い時ばかりになるだろう。今日の最後のパレードラップは嬉しかった。本当は星野さんに走ってほしかったけど・・・」と精神的な苦労を強調。

一方、星野選手と亜久里選手の間で健闘した影山正彦選手は「今年のル・マンはちょっと違う感じだった。何をしなければいけないのかも痛いほど解っていたので、今までのレースではなかったほどの重圧だった。今年は国内のレースの関係で海外のテストに行けなかった。レースはマシンにやさしく大事に慎重に運転した。最後のパートが終った時は、今年のル・マンでは誰に頼られてでも、もう乗るのは嫌だと思った。だから最後の4時間くらいは、神様へのお祈りだけ。いい結果に終って良かった。僕のミスでレースが終ってたら、みんなに何を言われるか分からないもの」とほっとした表情。

R390の萩原裕車両開発責任者は、「日産は今年でモータースポーツを始めて40周年の節目の年。いい結果が残せて嬉しい」と語った。

陣頭指揮を取った柿元邦彦総監督は、「日産にとっても大事な時、正直なところ速さは今一歩だと思う。ニッサンの持ってる強みを出して闘うこととガマンして押さえに徹して臨んだ。その結果3位という成績が得られ、大変嬉しい。24時間何が起きるかわからない。ライバルの弱みが見えて、何かやるような予感がした。」

一方、星野選手と亜久里選手の間で健闘した影山正彦選手は「今年のル・マンはちょっと違う感じだった。何をしなければいけないのかも痛いほど解っていたので、今までのレースではなかったほどの重圧だった。今年は国内のレースの関係で海外のテストに行けなかった。レースはマシンにやさしく大事に慎重に運転した。最後のパートが終った時は、今年のル・マンでは誰に頼られてでも、もう乗るのは嫌だと思った。
だから最後の4時間くらいは、神様へのお祈りだけ。いい結果に終って良かった。僕のミスでレースが終ってたら、みんなに何を言われるか分からないもの」とほっとした表情。



ル・マンの魅力を語るには、簡単に言葉では言いあらわせない。

サルトサーキットで24時間闘い、そして耐え抜いたクルー達の満面の笑顔と観客の拍手がその意味を知る。

1998年6月。

今年もまた、ル・マンに一つの伝説が生まれた。



'98Le Mans Web Report Team


Race Report No.12 7th June 1998 at 14:00
フィニッシュ
Race Report No.11 7th June 1998 at 13:00
スタート23時間を経過
Race Report No.10 7th June 1998 at 10:00
スタート20時間を経過
Race Report No.9 7th June 1998 at 7:00
スタート17時間を経過
Race Report No.8 7th June 1998 at 5:00
スタート15時間を経過
Race Report No.7 7th June 1998 at 2:00
スタート12時間を経過
Race Report No.6 7th June 1998 at 0:00
スタート10時間を経過
Race Report No.5 6th June 1998 at 21:00
スタート9時間を経過
Race Report No.4 6th June 1998 at 19:00
スタート5時間を経過
Race Report No.3 6th June 1998 at 16:00
スタート2時間経過
Race Report No.2 6th June 1998 at 14:00
レーススタート
Race Report No.1 6th June 1998 at 9:00
モーニングセッション