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Vol.8 国際ラリーでも大活躍したNo1スポーツカー 


 69年、世界で最も多く生産され、売れ続けたという稀有な量産スポーツカーがデビューした。「フェアレディZ」だ。

 スポーツカーは一部のクルマ好きには受け入れられるが、特に量産車としては大きなマーケットに受け入れられるものではないという常識がある。だが、フェアレディZはそんな常識を打ち破り、収益面でも成功した数少ない量産スポーツカーだ。当初、国内向けのエンジンラインナップは、2リッター直6のL20と、GT-Rにも搭載されていた高性能版のS20が用意されていた。その後、北米で販売されていたトルクフルな2.4リッター直6エンジンもラインナップに加わる。 これが「240Z」と呼ばれ、Zファミリーの高性能版として君臨。さらにGノーズとオーバーフェンダーを装着した「240Z-G」は、当時の若者の憧れの的だった。

 そして、当然のごとくモータースポーツフィールドにも240Zは姿を現し、国内のレースはもちろん、とりわけ国際ラリーにおいて輝かしい足跡を残すこととなる。

 最初に240Zが国際ラリーの舞台に姿を現したのは、71年のモンテカルロラリー。日産は、65年に410ブルーバードでこのラリーに参戦して以来、ほぼ毎年のように参戦している。68年と69年はフェアレディ2000で参戦。翌70年は、後継車であるフェアレディ240Zが発売直後のため、ホモロゲーション取得が間に合わず不参加。翌71年に、約1年の熟成期間を経て3台の240Zがデビュー。総合5位を獲得し世界的にも注目を浴びた。この時のエンジン排気量はノーマルと同じ2393cc。これにソレックス44PHHを3連装し200馬力を発生させていた。

 72年のモンテカルロでは、さらにエンジンのチューニングを進め、排気量は同じながら220馬力を発生させている。雪のモンテカルロではFRレイアウトのマシンは不利と囁かれる中、見事にアルトーネン/トッド組の240Zが3位に入るという快挙を成し遂げた。この時のナビゲーターを務めたトッドとは、現在のフェラーリF1チーム監督のジャン・トッドだ。

 73年、よりパワーアップしてきたライバルに対抗するため、240Zは排気量を2498ccにアップ。出力も230馬力となった。だが、この年のモンテは例年にない大雪となり、FRの240Zには苦しい戦いとなった。結果は9位と18位という残念なもので、FRには不利とされるモンテカルロの常識を覆すことはできなかった。そしてこの年が240Zによるモンテカルロ挑戦の最後の年となった。

   一方、「ラリーの日産」を強く印象付けたサファリラリーにも240Zは参戦している。71年、510ブルーバードの後を引き継ぐ形で参戦。見事に1-2フィニッシュを飾り、日産に2連覇をもたらした。エンジンは、ほぼモンテカルロと同じスペックで200馬力の最高出力を搾り出していた。

 72年、年を追うごとに高速化するこのラリーに対応するため、サファリ仕様のエンジンも215馬力にアップした。この年、モンテカルロで3位という好成績を収めた日産チームは3連覇を目指したものの、思わぬ所に落とし穴があった。マシンの性能が大幅にアップし、タイヤにかかる負担が大きくなっていたのだった。このため、各マシンにパンクが頻発し、アルトーネンの6位が240Zの最高位という不本意な結果となった。

 翌73年、日産チームはタイヤにも万全の対策を施す。エンジンも排気量を2498ccにアップし、最高出力を225馬力まで高め必勝を期した。結果は再び優勝を飾り王座を奪還。そして、この年をもって、240Zによるワークス参戦は終了した。73年秋のオイルショックにより、各自動車メーカーは排気対策に全力を注がねばならなかったからだ。

 当時のラリーカーとしては大柄なボディサイズと重い車重、そして長いフロントノーズに直列6気筒エンジン。およそラリーを戦う上では不利な要素の多かった240Zだが、輝かしい戦跡を残した。フェアレディZは、販売面での成功のほかに、モータースポーツの世界でも常識を覆したクルマだった。


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