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レースに勝つために排気量は2.6リッター
ツーリングカーレースでのスカイラインGT-Rは、日本のモータースポーツ史上もっとも栄光に満ちたクルマだ。
1969年に登場した初代GT-Rは、その活躍の舞台となったツーリングカーレースで伝説の50勝という金字塔を打ちたてる。1990年にグループAのツーリングカーレースに華々しくデビューした3代目GT-Rも、29連勝という偉業を達成し、その強烈な走りの印象はまだわれわれの脳裏に鮮やかに残っている。
GT-Rは、そもそもレースで勝つことを念頭に生み出されたもので、日産にとっては格別なクルマである。だからこそ、それに相応しいベースモデルを見出すまでに、6から7の2世代を通り越し、8世代目のスカイライン(R32)に3代目のGT-Rが登場するまでに16年もの歳月が必要だった。
レース登場前夜に、R32GT-Rのレース仕様車開発に携わっていた現ニスモ車両開発部の亀井泰治シニアマネージャーは、当時を振りかえって「GT-Rの意義というのはレースで勝つ、ということ。ですからR32も勝つための開発をスタートさせたわけです」と、明確にGT-R復活をゆだねられたR32の大きな使命を語る。
「GT-Rということから、エンジンは直列6気筒にこだわって、2.6リッターのRB26DETTを開発したわけですが、グループAのレギュレーションを詳細に調べてエンジンのスペックを決定したことを覚えています」と亀井。生産車のスペックがその素性を大きく左右するグループAカーはすべてが公認に縛られるため、基本となるスペックの煮詰めは重要であった。2.6リッターと一見すると中途半端な排気量だが、過給器(ターボチャージャー)の換算係数や、その係数を乗じたクラスの最低重量を考慮したものだったのだ。
こうしてR32の仕様が決定していったが、重要なのは3代目のGT-Rが単なる復活モデルでなかったこと。
フォード・シエラなどのライバル勢に立ち向かうためのエンジン高出力化という時代の要請に応え、満を持して電子制御のトルクスプリット4WD「アテーサE-TS」を搭載し、サスペンションは前後ともマルチリンクを採用するなど斬新な機構が盛り込まれていた。これらの装備が29連勝という記録更新の礎となり、R32が3代目GT-Rとして、その評価を大いに高めることにもなった。
生産車の発表に合わせて、レース仕様車の開発も急ピッチで進められることになったが、車体や駆動系は追浜、エンジンなどの開発を日産工機が担当。そしてサスペンション、ブレーキ、アクスル、ペダル関係などを亀井らのニスモが担当しマシン開発は鋭意進められた。
4年間で29レースを完全制覇
生産車の基本スペックの煮詰めが功を奏し、比較的短期間にまとめられてレース仕様車は、1990年開幕戦前のシェイクダウンで目標タイムを出して第1段階をクリア。こうして3月18日に西日本サーキット(現MINEサーキット)で幕を開ける全日本ツーリングカー選手権(JTC)に、鈴木利男/星野一義組のカルソニックスカイラインと長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組のリーボックスカイラインという2台のGT-Rが、4万1000人の大観衆の前で鮮烈なデビューを飾った。
レースでは星野組がマシントラブルで2位となった長谷見組を1ラップ遅れ、3位を2ラップ遅れに下して圧勝。GT-Rが1-2フィニッシュを飾り、輝かしい連勝記録の第1歩がスタートしたのだった。90年は6戦中、星野組が5勝、長谷見組が1勝を挙げてフォード・シエラ勢を撃破し、2501cc以上のディビジョン1/JTC1で星野がドライバーズチャンピオンを獲得。あわせて日産も製造者部門のタイトルを獲得した。
91年はカルソニックとリーボックに、高橋健二/土屋圭市組のタイサンKLEPPER GTRと清水和夫/影山正彦組のAXIA SKYLINE、山田英二/沖友龍晴組のザウルスチャンプGT-Rニスモが加わった。さらに最終戦のインターTECではシエラからスカイラインに乗り換えた見崎清志/長坂尚樹組のFET SPORT GT-Rが参加して、ディビジョン1のバトルはさらに激化した。この中で、長谷見が3勝をあげ、僅差で星野を2位に下してチャンピオンを獲得した。長谷見は92年にも6戦中2勝を挙げて、2年連続チャンピオンとなっている。
そしてJTC最後の93年。星野/影山組のカルソニックが開幕戦で優勝し、幸先の良いスタートを切って全9戦中4勝を挙げ、影山がドライバーズチャンピオンを獲得。ホシノレーシングがチーム部門を制し、日産が製造者部門で4年連続タイトルを実現した。
大観衆を虜にしたJTCは、こうして幕を閉じることになった。GT-Rが登場した最盛期には、カルソニックスカイラインをドライブした星野のダイナミックな“縁石走り”などが毎回注目を集め、これに続く多くのスカイラインによるバトルが大観衆を魅了した。GT-Rが一役買ってJTCの人気を盛り上げたといっても過言ではなかった。
一方、こうした国内戦とともに、海外でもGT-Rが多くのレースで見せ場を作ってきたが、その白眉はベルギーの公道も使用するサーキット、スパ-フランコルシャンを舞台にした91年の24時間レースだろう。A.オロフソン/服部尚貴/デイビッド・ブラバム組の駆るゼクセル・スカイラインが善戦し、2位を20周引き離して独走。総合優勝を実現している。
「当時、24時間を念頭にすえて、専用のブレーキやサスペンションを開発しましたが、最初は絶対に勝てない、絶対に最後までもたいない(笑)って言われていたので、優勝できてすごく嬉しかったですね」と振りかえる亀井。最後に、「GT-Rの復活を目指して開発したR32ですが、輝かしい結果を多く残すこともできて、GT-Rの名にふさわしい本当に良いクルマでしたね」と、付け加えた。
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