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Z32が発売された89年、誰もがその美しいスタイリングに目を奪われた。もちろん、スタイリングばかりではない。最上級グレードには当時国産最強とも呼ばれたエンジンが搭載され、スポーツカーとしてZの存在価値を主張していた。ツインターボで武装されたVG30DETTは、国産初の280馬力のカタログスペックを公表。多くのクルマ好きに歓迎されたのである。
だが、意外にもZ32は国内のモータースポーツシーンには登場しなかった。国内では、どちらかと言うとグランドツーリングカーとして受け止められ、モータースポーツシーンでは少し後に発売されたスカイラインGT-R(R32)が主に活躍した。
ところが、海の向こうのアメリカではZ32のレーシングマシンが大活躍した。80年代後半、アメリカの人気レースIMSAシリーズにおいて数々の勝利を収め、フェアレディZの名声を高めたのである。
Z32がIMSAシリーズに姿を見せたのは、90年のこと。クレイトン・カニンガム・レーシング(CCR)が、90年のZ32デビューイヤーから走らせていた。ドライバーには、ヒルクライムやオフロードレースで活躍していたスティーブ・ミレンが起用された。
マシンは、700馬力以上にチューニングされたVG30DETTを、スペースフレームのシャシーに搭載。空力特製に優れるファイバー製のカウルを組み合わせていた。つまり、外観こそZ32型のスタイルを持ってはいたが中身は全く別物のモンスターマシンだったのである。
「最初は、乗りにくいマシンだった」とスティーブ・ミレンが後に語っているように、チームや周囲の期待とは裏腹にデビュー当初の300ZXは苦戦した。そこで、マシンの全面的な見直しがはかられ、ホイールベースを2by2仕様に延長。この変更が好結果をもたらし、300ZXは熟成が進むにつれ好成績を収め、ついにIMSA GT最強のマシンとなるのである。
92年、300ZXは連戦連勝を記録し、スティーブ・ミレンはこの年のドライバーズチャンピオンに輝き、ニッサンはマニュファクチャラータイトルを獲得した。
94年、スティーブ・ミレンと300ZXにとっては最高の1年となった。デイトナ24時間、セブリング12時間と伝統の耐久レースでも連勝し、その勢いをもってル・マン24時間レースにも挑戦したのである。300ZXは、ここでも素晴らしい活躍を見せ、初参加ながら総合5位(クラス1位)でチェッカーを受けるという快挙を成し遂げている。その後、IMSAシリーズに戻ったチームはさらに快進撃を続け、スティーブ・ミレンが92年に続きダブルタイトルを獲得した。
その後、95年には最終的にインフィニティ用の4リットルV型8気筒NAエンジンを搭載している。
300ZXとスティーブ・ミレンは、日本には2度ほどやってきている。1回目は、95年に富士スピードウェイで行われたIMSAチャレンジ。2回目は01年のNISMOフェスティバルだ。
実際に、その走りを見るとエンジンの高回転域を使わず、中低速を使ったエキゾーストサウンドに、いかにもアメリカンレーシングマシンの香りを感じる。
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