NISSAN RACE CAR DIRECTORY 日産レースカー名鑑
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Vol.6 「ブルーバード、おまえの時代だ!」ターボ時代の幕を開けたモンスターセダン
1980年代初頭、クルマ好きの若者を熱狂の渦に巻き込んだレースがあった。スーパーシルエットレース。
市販車の面影を残したモンスターマシンの競演だ。派手なエアロパーツをまとい、1トンそこそこのボディに570ps以上のターボエンジンを搭載、ストレートを脅威的なスピードで駆け抜ける。一方、コーナー手前の減速区間では強烈なアフターファイアを吹き上げる。あまりのかっこよさに、当時の若者は痺れまくった。

“スーパーシルエット”あるいは“G5(ジーゴ)”と呼ばれたこのレースに参加するマシンは、FIAの当時の車両規定でグループ5にあたる。その改造範囲は広く、パイプフレームで構成されたスペシャルなシャシーに、市販車のシルエットを残したカウルを装着したものだった。ヨーロッパでは、フォーミュラカーのようなシャシーを持っていたことから “シルエット・フォーミュラ”と呼ばれていた。

日本では、79年から83年まで富士GCシリーズの中の一カテゴリーとして、シリーズ戦が組まれ大人気を博した。特に後半の82〜83年がその人気のピークとなった。富士GCシリーズ開催の日は、東名・中央の両高速道路が渋滞するほどの盛況ぶりで、一種の社会現象とも言えるほどのものだった。

その人気の中心が3台の日産ターボ軍団。柳田春人が操るブルーバード・ターボ(KY910)、星野一義のシルビアRSターボ(KS110)、
そして長谷見昌弘のスカイラインRSターボ(KDR30)だ。一方ライバルは、12気筒エンジン搭載のスーパーカー、BMW M1(長坂尚樹)や13BロータリーのマツダRX-7など、当代一流の役者が揃っていたのも魅力のひとつだった。特にわずか20周のレースだっただけに、マシン性能が同等な日産ターボ軍団3台は、毎戦、熾烈なバトルを繰り広げ見るものを圧倒した。

日産のスーパーシルエットカーのシャシーは、パイプフレームにアルミパネルをリベット留めしたものだった。エンジンはフロントミドシップにマウントされ、サスペンションはフロントがストラットタイプ、リアがウィッシュボーンタイプだった。

搭載されたエンジンは、LZ20Bと呼ばれた4気筒4バルブDOHC、2082ccのエンジン。これにエアリサーチ社製T05Bターボチャージャーを装着し、 ルーカス製メカニカルインジェクションシステムでマネージメントした。このインジェクションシステムの特性で、減速時に大きなアフターファイヤーを吹き上げた。
そして最高出力は570ps/7,600rpm、最大トルクは55kg-m/6,400rpmというピーキーなものだった。ドライバーの一人、柳田春人は「エンジンは、中低速トルクがなくいわゆるドッカンターボだった。1トンそこそこのボディにピーキーな570psのエンジン。じゃじゃ馬だったね。直線はとにかく速かった」と当時を振り返る。

その柳田のブルーバード・ターボは、82年5月3日の富士GCシリーズ第2戦「富士グラン250キロレース」でデビューした。他の2台も同時にデビューしている。このデビュー戦でブルーバードは3位の成績を収めている。82年のブルーバードは、真っ赤なコカ・コーラカラーが印象的だった。デビュー後、参戦するレースのたびに、特にフロントセクションの空力パーツに試行錯誤の跡がみられる。当時のエンジニアだった岡寛(現レース技術部)は「パイプフレームのシャシーは剛性がなく、アンダーステア対策に悩んだ。そのため空力パーツの試行錯誤を繰り返した記憶がある。今と違って、風洞設備もない時代だからとにかく走って決めるしかなかった」と当時を振り返る。また、「エンジンの耐久性をあげることも課題だった。ルーカスの指定燃圧は6kgf/cm2だったのだが、実は15 kgf/cm2にしていた。この高燃圧に起因するトラブルが多かった。プラグも10番という高熱価なものを使っていた。今の人には分からないだろうが、我々はプラグの焼け具合で燃料調整を行っていたんだよ」と笑った。

83年、柳田のブルーバードはカラーリングもオートバックスカラーに変更、初戦で優勝を飾る。そしてこの年、好調を維持したまま、見事にシリーズチャンピオンに輝いている。だが、残念なことに、この年限りで富士GCシリーズの中のスパーシルエットレースは終了となってしまう。そして、スーパーシルエットカーは翌年からスタートするグループCレースへと静かに移行していく。しかし、84年に3戦ほどスーパーシルエットレースが開催された。それぞれ独立した単独イベントだが、日産ターボ軍団も参戦している。ブルーバードは、再びカラーリングを一新。白をベースとしたコカ・コーラカラーをまとった。そして12月9日の「筑波チャレンヂカップシリーズ第5戦」を最後に、スーパーシルエットカーは人々の前から姿を消した。

スーパーシルエットのスタイリングは、GCレースのサポートレースとして行われたJSS(ジャパンスーパースポーツセダン)にも継承され、
それが93年にはJGTCに取り組まれ、その流れは現在のGT300クラスへ続いている。現在盛況のSUPER GTだが、そのスタイリングのルーツはスーパーシルエットだったのかもしれない。SUPER GTのマシンにも、かつての熱狂を重ね合わせることができるからだ。

その活動は、わずかに2年と3戦。がしかし、最強日産ターボ軍団が人々に与えたインパクトは計り知れない。この間、シリーズチャンピオンの座を射止めたのは、柳田のブルーバード・ターボだった。そして、スーパーシルエットカーの熱狂は、そのまま、日産量産ターボエンジンを強く印象付けるものとなり、本格的なターボ時代の幕開けを予感させるものとなった。


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