
2001パリ・ダカールは21日、ダカール近郊の塩湖ラックロゼ湖畔にゴールして21日間、総延長10,825kmの全行程を終了。
フランスのドスード・ニッサンモータースポーツから出場した日産テラノはS・ペテランセル組のT1仕様が総合12位で同クラス優勝を果し、T2仕様のG・デメビウス、T・ドゥラベルニュ組も、途中GPSポイントから離れたという理由で上位選手のみがペナルティを課されるというハプニングもはねかえして、それぞれ総合8・9位でクラス4・5位を獲得し、VQ35DE型エンジンを搭載した新型テラノは、初出場ながらその素性の良さを大いにアピールする結果となった。
新世紀初のモータースポーツイベントとして1月1日にパリをスタートした同大会は、
原点復帰を図るとして、モーリタニア砂漠を中心とした砂丘越えの多い、比較的難易度の高いコースと、21日間という長丁場、そして従来は毎日航空機でビバークを巡っていた通称エアメカを大幅に制限して3回のみの飛来とするなど、全体に厳しい内容が特徴であった。
しかし、2輪部門で過去最多の6回というパリ・ダカ優勝記録を持つペテランセルは、初めて乗る市販車無改造クラス仕様のテラノを駆って序盤から快走。11日の休息日までには同クラスとしては極めて好順位な総合11番手まで浮上し、結局、その後もクラストップの座は1度も明渡すことなく、総合12位で自己初のT1オーバーオールを獲得した。
「T1テラノに乗らないかとドスード監督に誘われたのはスタートの僅か3週間前。当時はプロトタイプでの出場計画が資金関係で頓挫していたこともあり、喜んでお受けした。T1仕様は初の体験で、生産車そのままの部品が殆どなので、まずは壊さないよう自分に言い聞かせながら走り出したけれど、テラノの素性の良さ、とくに操縦安定性の素晴らしさは驚きで、スムーズに順位を高めることが出来た。また、メルセデスベンツMLやパジェロエボリューションといったライバルに伍した走りをしても大きなトラブルが起きなかったのが、この結果に繋がったんだと思う。T1として総合12位は満足できるポジション。今後のことは分からないが、チャンスがあればT2仕様にも乗ってみたい。あれなら総合優勝も狙えるよ」とペテランセル。
ラックロゼのゴールで、219号車の赤いテラノがポディアムに登ると「ス・テ・ファン、ス・テ・ファン」のコールが観客から沸き上がり、ペテランセルとナビのW・アルカラスは、デスード監督、スタッフと共に笑顔でその声援に応えていた。
113台が出走した4輪部門でゴールしたのは僅か53台。しかし22台がエントリーした日産車は16台が完走して、その信頼耐久性の高さをアピールすることとなった。