不屈のトップランナー~松田次生、NISMOと駆け抜けた20年

Volume 1

「日産の松田次生」誕生

三重県出身のレーシングドライバー、松田次生(まつだ つぎお/1979年6月18日生まれ)。SUPER GT GT500クラスの日産ドライバー陣に松田が初めて名を連ねたのは2006年シーズンのことであった。

松田は三重県・鈴鹿サーキットのレーシングスクール(松田在籍時の略名はSRS-F)出身者で、1997年に学んだ同期にはのちにインディ500を制す佐藤琢磨、国内トップカテゴリーで活躍する金石年弘がおり、松田を含めて「花の3期生 三羽烏」などと呼ばれる。SRS-Fのスカラシップを起点に。松田は国内トップカテゴリーを戦うドライバーへと成長、GT500にホンダ系のチームで参戦するようになっていく。(GT500デビューは2000年シーズンの途中で、マクラーレンF1 GTRをドライブ。翌年、ホンダ陣営でフル参戦を開始した)

2003〜2005年頃、松田はGT500と並行して国内トップフォーミュラ(当時のフォーミュラ・ニッポン=FN、のちのスーパーフォーミュラ)にも参戦していた。フル参戦初年度の2000年に20歳11カ月という若さで初優勝を飾り、その後も善戦、力走を続けていたのだが、なかなか2勝目が挙げられずにいた。

しかし、見ている人は見ているものである。

TEAM IMPULを率いる星野一義は松田の戦いぶりに熱い眼差しを送っており、、2006年の自チームのFNドライバーに起用。同時に、星野と縁深い日産のGT500陣営にも2006年から松田が加入することになり、NISMOが走らせる#23 XANAVI NISMO Zで本山哲のパートナーに抜擢した。

こうして「日産の松田次生」が誕生した。

そして新天地で松田は、期待以上ともいえる活躍をしていくことになる。スポーツの世界では移籍が想像以上の効果を発揮することは少なくないが、松田の日産入りはまさに好例であった。

2006年シーズン、本山と松田のコンビは開幕戦で2位を得て、第5戦でも2位、そして第8戦オートポリスでシーズン初優勝を飾り(日産でのGT500初勝利は、キャリア通算6勝目)、最後の第9戦までタイトル争いに加わる。最終のドライバーズランキングこそ6位ながら、王者とは11点という僅差。これは戦国シーズンの象徴ともいえる数字だが、とにもかくにも日産と松田がフィットする組み合わせだと充分に実証した内容であった。

翌2007年は#22 MOTUL AUTECH Zでミハエル・クルムとのコンビで参戦。この年は勝利こそ得られなかったが、松田は前年に続き、日産の主力選手としての地歩を着実に固めていく。TEAM IMPULから並行参戦していたFNでは、この2007年に自身初王座に輝くと、翌年には連覇を果たすほどの充実ぶりを示していた。

そして2008年から、GT500でも松田はTEAM IMPULの所属となる。この年はR35型NISSAN GT-RのGT500デビューという、日産陣営にとって絶対に負けられないシーズンだった。星野のチームに移籍してセバスチャン・フィリップとコンビを組んだ松田は#12 カルソニック IMPUL GT-Rで特別なシーズンに臨んだ。

2008年シーズン、GT-Rは9戦7勝を記録する。NISMOの本山/ブノワ・トレルイエが富士スピードウェイでの最終戦でGT500ドライバーズチャンピオンの座に登りつめるなか、TEAM IMPULの松田/フィリップも、最終戦を含む2勝をマークするなど活躍した。

Volume 2:近くて遠い、王座への道