モータースポーツに限らず、あらゆる競技の第一線で活躍し続けるのは容易ではない。本山哲は、それを20年以上にわたって成し遂げた、日本を代表するレーシングドライバーである。レーシングカートコースを経営する両親のもとに生まれた本山は、幼少の頃からポケバイやレーシングカートでコースを走り回る毎日を送り、当然のように競技生活へと入った。1986年、15歳の時に全日本カート選手権A1クラスのチャンピオンとなり、1987年、1989年に最上位のA2クラスでチャンピオンを獲得。注目の若手選手として1990年、全日本F3選手権へステップアップした。
全日本F3選手権では苦戦が続いたが、1995年にシリーズ2位となったのをきっかけに、レーシングカート時代から本山の才能に着目し応援していた鈴木亜久里が、新たに結成したチームのドライバーに起用、1996年のフォーミュラ・ニッポン(FN)に進出した。
同年、NISMOの抜擢を受けて全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にも出場。こちらではサニー、プリメーラを操った。ここに本山と日産の関係が始まった。