国内モータースポーツ活動 DOMESTIC MOTORSPORTS

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NISMOとして初のワークス活動(1985) 常識破りのZ31フェアレディZで全日本ラリー選手権を制覇!

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 1984年の秋に創業したNISMOは、最初のワークス活動として1985年の全日本ラリー選手権シリーズに参戦した。
 当時、現在のようにサーキットで様々な走行会はなく、とくに富士スピードウェイをはじめとしたビッグイベントを開催するコースは敷居が高かった。したがって、一般の愛好家たちにとって、とくにナンバー付の愛車でモータースポーツを楽しめるラリーなどは身近なモータースポーツとして人気が高かった。休日となれば幹線道路でラリー仕様車とすれ違うことも多い時代だった。

 実際、国内ラリーは県シリーズや地区戦など各地で多くのイベントが開催されていた。またエントラントも多く、実績の無い選手はエントリーを拒否されることも多かった。その頂点に君臨したのが全日本ラリー選手権シリーズである。その頂点を制すれば、新生NISMOのブランド認知度が高まることは間違いなく、最初のワークス活動として全日本ラリー選手権を選んだのは当然のなりゆきだったといえるだろう。

 当時の国内ラリー車両の規定は、シャシーに関しては比較的自由だったが、ことエンジンに関しては公道を走るクルマとして、エアクリーナの入り口からマフラーの出口まで一切の改造が禁止されていた。つまり、ベース車の持つポテンシャルがラリーの勝敗に大きく影響していた時代だったのである。

 その頃の国内ラリーの主力車種は、1,600㏄4バルブDOHCエンジンを搭載したトヨタのAE86型レビン/トレノ。そして1,800㏄SOHCターボエンジンを搭載した三菱のA175A型ランサーEXターボなど。北海道を除く大半の国内ラリーコースは狭く、またタイトなコーナーが続く荒れた路面だった。このため伝統的に2,000㏄以下のエンジンを搭載したコンパクトで取り回しの良い後輪駆動車が、国内ラリーではポテンシャルの高いクルマとされていた。

 当時の日産には2,000㏄以下のコンパクトでパワフルな車両が無かった。NISMOは参戦にあたり車種選択を慎重に行なった。候補としては、海外ラリーでも活躍していたS12型シルビアターボもあがっていたという。しかし、当時の感覚ではS12型シルビアでも大柄なボディが災いすると思われていた。ところが、最終的に選ばれたベース車は、もっと大柄で国内ラリーには不向きと思われたZ31型フェアレディZ300ZXであった。搭載されたエンジンは3,000㏄V6 SOHCターボで当時最強の230psを誇っていた。

 ドライバーには、若手成長株の神岡政夫選手が選ばれた。1982年には史上最年少チャンピオンとして注目を集めたドライバーである。

 およそ国内ラリーに不向きと思われたフェアレディZがラリー会場に現れた時、多くの関係者はNISMOの「あり得ない選択」に驚いたという。実際、ファンも含めて多くの人が、「フェアレディZじゃ、今シーズンの神岡選手のタイトルは無い」と思っており、まさかこのクルマでシリーズを制覇するとは思わなかったはずである。

 フェアレディZのデビュー戦は1985年4月の全日本ラリー選手権第3戦の関西ラリーで、順位は5位でフィニッシュ。ところが、周囲の予想に反して、その後フェアレディZは第6戦ツールド九州、第7戦ツールド東北で連勝する。その後も上位に入賞しポイントを稼ぎ、見事、1985年の全日本ラリー選手権シリーズを制しチャンピオンを獲得したのである。

 その背景には、名手・神岡政夫選手の巧みなドライビングによるところもあるが、V6・3,000㏄ターボエンジンのトルクフルな走りと大パワー、そして大径タイヤによる悪路の走破性などが貢献したことは間違いない。一見、大柄なボディだが、意外にも乗りやすいラリーカーであったとシーズン終了後の自動車雑誌のリポートでも高く評価されていた。
 意表をつくマシンによるシリーズ制覇で、NISMOのロゴマークと通称「神岡Z」の名は、多くのモータースポーツ愛好家の胸に深く刻まれた。

 この記念すべきフェアレディZ 300ZXは、現在、神奈川県座間市にある「NISSAN HERITAGE COLLECTION」に記念車として収蔵されている。そして2024年、「日産名車再生クラブ」の手によりレストアされ12月1日のNISMOフェスティバルでお披露目された。

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