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全日本GT選手権―SUPER GT(2004~2007) GT-Rから受け継いだ王者のバトン フェアレディZ

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 R34 GT-RをベースにしたGTマシンは2003年で現役を退き、新たに2004年のJGTCにはZ33型フェアレディZのGTマシンが参戦することになった。

 一方、1994年にスタートしたJGTCすなわち全日本GT選手権は2004年をもって終了することになった。2005年からは、国際シリーズ化することからJAFの全日本選手権タイトルがかけられなくなり、名称も現在のSUPER GTへ変更されることになった。

 JGTCに参戦するチームはもちろん、とくに日産陣営にとってはフェアレディZのデビューイヤーでもあり、JGTC最後の年となる2004年は大きな節目のシーズンとなった。

 日産は、NISMOがGT500仕様のフェアレディZを開発するにあたり、ベースとなる特別なモデル「Type E」を期間限定で2004年1月から販売した。GTマシンは空力性能が大きく勝敗に作用する時代になっていた。そこで、ロングノーズバンパー、ロングテールバンパー、サイドフィニッシャーを装着し全長・全幅を拡大した「Type E」を販売したのだ。翌2005年には、Hondaも同様な手法で「NSX-R GT」という特別なモデルを限定販売した。これらはいずれも、GTマシンとしてのホモロゲーションモデルといえるものだった。

 GT500仕様のフェアレディZは、基本的には前年度のチャンピオンマシンであるR34 GT-Rのパッケージングを継承していたが、2シーターボディのメリットを活かし、フューエルタンクコンテナをカーボンストラクチャー化するなど、さらに進化していた。VQ30DETT型V6・DOHCツインターボエンジンとトランスアクスル方式のトランスミッションなど、すでに熟成の域に達し、実績もある内容だった。

 2004年シーズンのJGTCには、NISMOの2台に加え、TEAM IMPUL、ハセミモータースポーツから各1台、計4台のGT500仕様フェアレディZが参戦。

 前年のチャンピオンナンバーであるゼッケン1をつけるザナヴィ ニスモZ(本山哲/R・ライアン)は、シーズン前のテストから好調。デビューレースである開幕戦TIサーキット英田で優勝したほか、第6戦オートポリスでも優勝し、ドライバーズとチームのダブルタイトルを獲得した。ドライバーの本山哲とNISMOは見事2年連続のチャンピオン獲得という快挙を、記念すべき2004年シーズンに挙げたのだ。

 2005年、SUPER GTと名称が改まった初年度のシーズン。フェアレディZは、①ドライバーの衝突安全性(側面衝突)の向上、②空力性能向上(ストレートスピードの向上)、③接触時の損傷性の改善、④作業性改良 の4点に重点を置いてアップデートされた。しかし、ライバル勢も力をつけ、フェアレディZが優勝したのは第3戦のセパンのみ。しかしながら、コンスタントに上位入賞したため、NISMOは3年連続でチームタイトルを獲得した。

 2006年、フェアレディZは前年の反省も踏まえて、①旋回性能の向上(エアロダイナミクスの向上)、②動力性能の向上(エンジン出力向上)、③ドライバビリティの向上(エンジンレスポンスの向上)に重点を置いた進化をした。このシーズン、フェアレディZは第6戦と第8戦で優勝したものの、ドライバーズとチームのタイトルは逃した。トピックスとしては最終戦の富士で、翌シーズンのエンジンとなるV型8気筒自然吸気エンジンVK45DEを投入し、MOTUL AUTECH Zが予選9位からスタートして6位に入賞した。

 2007年、Z33型のGT500仕様フェアレディZにとって最後のシーズン。2007年型フェアレディZは、①レギュレーション変更への対策(ダウンフォース減少と重心高増のリカバリー)、②4.5ℓV型8気筒 自然吸気エンジンのアドバンテージの最大限活用を重点項目とし、さらに、ドラッグ(空気抵抗)の低減、ボディ剛性の向上、軽量化も合わせて実施された。シーズン結果は、第3戦で1-2フィニッシュ、そして第4戦と2勝を挙げたが、惜しくもタイトルを獲得することはできなかった。

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