1995年にオープンしたホームステッドスピードウェイは、アメリカンレーストラックとしては、最も新しい施設といえる。ただし、日本からはちょうど地球の裏側となり、成田からオーランドまで15時間、さらに1時間かけてマイアミへ、そこからレンタカーで1時間というロケーションだ。
マイアミ国際空港から南下していくと、マイアミのリゾート都市の景観は次第に国立公園の中のような湿地の多い風景に変わっていく。往年のTV番組「わんぱくフリッパー」の舞台を覚えている方なら想像がつくだろう。そして標識に従って国道1号線を東に折れ、しばらく走ると、忽然とホームステッドのマンモススタンドが目前に現れる。
フロリダの青い空、そして真上から降り注ぐ大きな太陽の下、スピードウェイの中は、すっかりアメリカンレーシングの華やかで明るい雰囲気に包まれている。アメリカンレースの特徴は、チームも観客も、オフィシャルも、ボランティアのボーイスカウトも、スピードウェイにいる全ての人々がレースをエンジョイしていることだ。誰一人として悲痛な面持ちの人がいない。チームも非常にオープンだ。レース運びを「見せる」ためのピットには、屋根も隣とのパーテイションもない。マシンを整備するガレージには屋根はあるが、観客はボディカウルを触れる位置まで近づくことができる。小さな女の子が質問しても、クルーは嫌な顔もせず白い歯を見せて応対する。
ランチタイムになると、ぞれぞれチームの本拠地からはるばる陸路を使ってレースギヤを運んできた大型トランスポーター横には、お決まりのBBQセットが広げられ、幼稚園の給食よろしくクルーたちがプレートをもって列を作る。
ひとつだけ日本のサーキットにはあり得ない印象的なシーンを見た。スピードウェイの中にある池のまわり(天然のものだろう)には、そこに寝泊りしているだろうと思われる観客のテントが張られ、ショートウェットスーツ姿の若者たちがジェットスキーをしながらレース観戦していたことだ。いかにもフロリダ的なレース観戦方法だ。
インフィニティ・ワークスのチーバー・インディー・レーシングのピットを訪ねた。チームオーナー兼ドライバーのエディ・チーバーJr.は、新エンジンのパフォーマンスには、非常に満足している様子。ただし、まだシェイクダウンからフェニックスのデビューレースを経たこの時点でも、こなしたテストマイルが不足しており、シャシーのセッティングが確定していないようだ。
日産の日置和夫グローバル・モータースポーツ・プログラム・ダイレクターに訊ねた。
「新エンジンのパフォーマンスには、開発陣もチームも満足しています。ただし、サスペンションとエアロダイナミクスの微調整によるコーナリングワークは、まだ満足できるレベルではありません。エンジンの形状も、搭載位置も変わってしまったので、昨年のシャシーデータが全く流用できなくて、メイク&トライの連続です。これまではともかくテスト時間が不足していましたが、このレース以降、次戦の舞台であるアトランタでロングランテストを含む集中テストを行います。そしてそののちリッチモンドとインディアナポリスでもテストを行います。我々は、他のチームも同様でしょうが、5月のインディ500で結果を出すことに集中しています」とチーム状況の説明を受けた。
レースのウォームアップランをリードしたのは、新型インフイニティQ45。このレースのために仕立てた本格的ペースカー仕様だ。ロールケージ、バケットシート、フルハーネスのシートベルト、そしてスペシャルエキゾーストシステムが組み込まれている。また、サポートレースの合間には、ヘルスエンジェルスの襲来か、と思わせる大型モーターサイクルのデモ走行が行われた。ハーレー・デイビッドソンをはじめとする各バイクには、インフィニティの旗がくくりつけられている。そして、なんとその威容には不釣合いな「ガン撲滅連盟」のTシャツを全員が着ていた。
レーススタート前のセレモニーでは、出場するドライバーが全員メインスタンド前に集合し、巨大なアメリカ国旗の前で記念撮影。それに続く、国歌斉唱は、4人組のアカペラグループが登壇し、ゴスペル風に国歌を歌い上げる。もちろん、その荘厳な時間は、観客も主催者もドライバー達も胸に手を当て、直立不動だ。愛国国家アメリカらしい光景だ。
有名なフットボールプレーヤーの掛け声で各車エンジンに火を入れる。女性ドライバーがいるので、アナウンスは、「レディス&ジェントルメン、スタート・ユア・エンジン」であった。そして、一斉に30台のV8エンジンが咆哮を開始。空軍のジェット機編隊がスピードウェイ上空を低空飛行し、レースのスタート進行が始まった。