2輪レースを経て、日産大森ワークスのオーディションに19歳の若さで合格、1965年日産ブルーバードSSで4輪レース界にデビュー、見事初戦を優勝で飾る。更にフェアレディー、ブルーバード等で活躍した後、当時プライベートチーム最強のタキレーシングチームにて、ポルシェカレラ6、ローラT70等をドライブ。
70年に日産追浜ワークスに復帰し、当時最強のスカイラインGT-Rを駆って数多くのレースで優勝、入賞を飾る。80年には、日本のレース史上前人未到の4冠王(全日本F2、鈴鹿F2、全日本FP、富士GCの各チャンピオン)に輝いた。86年にはフランスのル・マン24時間レースにて日産車で初出場、日本車唯一の完走の快挙に輝いた。89年には、グループAツーリングカーレースにおいて3連勝と、シリーズチャンピオンを獲得。
90年6月、フランスのル・マン24時間レースにおいて、日本人チーム初の最高位、予選3位、決勝5位を獲得。同年国内プロトタイプカー(Gr-C)耐久レースにおいて、シリーズチャンピオンを獲得。91年、グループAツーリングカーレースにおいて、シリーズチャンピオンを獲得。92年、グループCにてデイトナ24時間レースに初出場、日本車、日本人ドライバーによる初の総合優勝を飾る。同年、グループAツーリングカーレースにおいて、シリーズチャンピオンを獲得。これにより、同レースでの2連覇達成。
94年、GT選手権シリーズ2位。日本で26年ぶりに開催された第一回十勝24時間レースで総合優勝を飾る。96年、本邦初のファン投票により選抜されるGTオールスター戦で優勝。ラリーレイド初のチャレンジとなった『第2回ラリーレイドモンゴル1996』では改造が制限されるT1クラスでスピードに勝るT2クラスと接戦を演じ、総合2位、T1クラス優勝を収めた。
97年1月『1997ダカール〜アガデス〜ダカールラリー』に初挑戦、総合27位/T1クラス12位となる。7月、『第3回ラリーレイドモンゴル1997』に満を持して参戦、T1クラスでありながら、T2/T3クラスに12時間の大差をつけて総合優勝を果たす。
99年にも同ラリー総合優勝及び4年連続GTオールスター戦選出。レース以外では、JAFレース委員やGT選手権での理事も務める我が国レース界の第一人者である。