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NISMO FESTIVAL前史 1987年からはじまったファン感謝祭 NISMOサマーフェスティバル

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 毎年、モータースポーツがオフシーズンの時期に行なわれるNISMO FESTIVAL。日産のモータースポーツの歴史が肌で感じられ、著名なレーシングドライバーもオフシーズンということで気さくにファンと交流できるイベントとして人気だ。この種のモータースポーツイベントとしては、1997年からはじまったNISMO FESTIVALが元祖といえるだろう。

 そのNISMO FESTIVALの原点となるのが1987年に行ったファン感謝祭である。現在のNISMO FESTIVALはサーキットを会場とし、新旧レースカーなどが実際に走る姿を見ることができるが、当初のファン感謝祭は、大森にあった旧NISMO本社や日産自動作の関連施設を会場としていた。

 1984年に創立したNISMOは、本社1階のショールームを1987年5月にリニューアルオープンし、様々なモータースポーツ情報や各種スポーツパーツの情報発信基地とした。そして、6月には新ショールームのオープンイベントを行ない、さらにその年の12月には年末感謝祭を開催し3,000人ものファンを集め賑わった。

 1988年になると、前年12月に開催したファン感謝祭も7月に変更、名称も“NISMOサマーフェスティバル”と改めた。会場は当時、荻窪にあったアプリーテという大型日産ディーラーショールームで盛大に行なった。

 1989年のNISMOサマーフェスティバルは、ふたたび旧大森本社に会場を移し7月に開催。NISMOサマーフェスティバルは3年目となり、NISMOパーツやグッズ類が特別価格で買えることもあり、多くのファンが訪れるようになった。

 1990年、19991年も、例年通り7月に大森本社で開催された。モータースポーツファンのみならず、愛車のカスタマイズファンにも応えるNISMOのイベントとして完全に定着した感があった。ただ、この当時のNISMOサマーフェスティバルは、モータースポーツシーズン中ということもあり、全社的なイベントとはならず、スポーツパーツなどを開発・販売する営業部門主体の感謝イベントだった。イベントの様々な企画は社員によるものであり、運営もすべて社員で行なう形態も、現在のNISMO FESTIVALの原形となっている。

 1992年、NISMOサマーフェスティバルは大きな転換期を迎えることになる。世界的にもグループCカーのレースが終焉を迎えることが明らかになり、翌93年以降のワークス活動も終了を決定。当時、NISMOのグループC部隊は、日産自動車の追浜工場テストコース脇にあったNISMOエンジニアリングセンターで活動していた。このエンジニアリングセンターも翌93年には、大森の旧NISMO本社に統合することが決まっていた。

 こうした時代背景を受け、毎年夏に行なっていたサマーフェスティバルは、グループC、グループAといった主要レースが終了した11月に時期を変更。会場も旧大森本社から日産追浜工場の敷地に移し、テストコースも使用した盛大なものとなった。イベント名称も“NISMOフェスティバル’92追浜”となり、実際にレースカーをテストコースで走らせるなど、その内容も大きく変化した。またシーズンオフということもあり、多くのレーシングドライバーも参加し、トークショーなども行われた。その結果、過去最高の8,700人の来場者で賑わった。この追浜工場での“NISMOフェスティバル‘92追浜”が、現在のNISMO FESTIVALの基礎ともいえる内容だった。

 しかしながらこの年を最後にファン感謝イベントは終了。1997年に富士スピードウェイで開催した“第1回NISMO FESTIVAL at FISCO”まで眠りにつくことになるが、NISMO社員全員による手作りイベント、そして「ファンへの感謝」という精神は今も引き継がれている。

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