●●●
NISMOが創立する以前、日産自動車にはふたつのモータースポーツ部門があった。特殊車両実験課(通称“追浜ワークス”)と、宣伝三課大森分室(通称“大森ワークス”)である。
海外ラリーへの参戦や最先端のレースカー開発などを行なっていた“追浜ワークス”に対し、“大森ワークス”は、モータースポーツを通じた宣伝活動を目的とし、各種モータースポーツへの参戦のほか、アマチュアレーサー向けのスポーツパーツの開発・販売とマシンメイキングのアドバイス、レーシングスクールの開催など、日産車を愛好するユーザーサービスを主眼としていた。
大森ワークスの設立は、追浜ワークスとほぼ同時期。1964年5月に開催された第2回日本グランプリ直前の3月には、早くもSP310型フェアレディのスポーツパーツを販売していたほどである。
海外ラリー車両や国内レース車両の開発を行なっていた追浜ワークス(特殊車両実験課)に対し、大森ワークス(宣伝三課)は多様化するユーザーニーズへの対応が主体でモータースポーツ部品の販売とモータースポーツユーザーの支援を行っていた。
1965年には大森分室にスポーツ相談室が設立され、各種モータースポーツへの参加アドバイスやクルマのチューニングアドバイスなど行なうサービスも開始された。大森のスポーツ相談室に行ってパーツを買ったり、チューニング相談をした経験を持つ人は多い。とくに当時は今ほどアフターマーケットのチューニングパーツや情報がなかったため、日産スポーツ相談室は絶大な信頼を得ていたのだ。
大森のスポーツオプションには、それぞれの時代に主流となる車種に対し、当時のワークスドライバーが開発したレース用パーツやラリー用パーツがあり、モータースポーツを楽しむ一般ユーザーに販売されていた。また、同時に車種別のチューニングマニュアルも制作され、自動車愛好家たちのバイブルともなっていた。
こうした大森ワークス時代のスポーツオプションパーツは、1984年に誕生したNISMOに引き継がれ、現在も一部が販売継続されている。NISMO発足からしばらくは、サスペンションパーツや外装パーツなども販売されていたが、時代の流れとともに徐々に生産廃止となったパーツも増えていった。しかし、1994年のNISMO創立10周年の年には、通称「ダッツンコンペ」(ダットサン・コンペティションハンドル)や当時のバケットシートなど、旧車愛好家に人気のあったパーツを復刻し販売した経緯がある。そして2024年、NISMOブランド創立40周年を迎え、再び「ダットサン・コンペティションハンドル」を復刻・販売することが決まっている。
また、現在もヒストリックカーレースなどでは日産車が中心となっており、現役時代を彷彿させる走りを見せているほどで、こうしたヒストリックカーレースを楽しむユーザーを対象に、L型エンジンやA型エンジンのパーツの一部は、現在も販売が継続されている。
こうした大森ワークス時代からのスポーツパーツの開発と販売は、現在のNISMOパーツの礎となっている。
●●●