79年からは、富士GCのサポートレースが、1300ccのTSマシンによるマイナーツーリングとグループ5マシンによるスーパーシルエットへと移行しました。日産では、スーパーシルエットにスカイライン、シルビア、そしてブルーバードを走らせましたが、フェアレディZの出番は巡ってきませんでした。この時代は、プライベーターの永田芳郎が、79・82・83年にLYヘッドを搭載したS30型を耐久レースやスーパーシルエットレースで走らせていました。
2代目のS130型は、70年代終盤~80年代初頭の富士ロングディスタンスシリーズで、プライベーターが独自の改造を施してエントリーするにとどまります。
1984.6.3
全日本富士500kmレース
#20 LM03Cニッサン 柳田春人/和田孝夫
IMSA−GTSで活躍したZが日本のGTを走った
1996.6.30
ハイランドGT選手権レース大会2
FEDEX 300ZX-GTS 影山 正美/立川 祐路
Z31型も、2シータースポーツの活躍する場が国内にはなかったことから参戦はありませんでしたが、富士と鈴鹿で行われていた耐久シリーズに、83~84年に「ルマン商会」と日産の共同開発で製作されたプロトタイプカー、LM03Cニッサンの1台が、エアブラシでZ31型をイメージさせるカラーリングを施して「フェアレディZ-C」の名前で出場。搭載エンジンは直列4気筒DOHCのLZ20Bターボで、ドライバーは柳田と若き日の鈴木亜久里らでした。
フェアレディZが国内のサーキットへ再び姿を見せるようになるのは、1990年代に入ってからです。94年の全日本GT選手権(JGTC)に、チーム・ルマンがZ32型をベースにしたGT仕様を開発し参戦。当時アメリカで活躍していたIMSA仕様の300ZXが搭載していたVG30型を搭載していました。しかし、トラブルが多く、95年の途中からはJUNオートメカニックがチューニングしたSR20DETを搭載。翌96年には、前年までIMSA-GTSを走っていたカニンガムレーシングのマシンを後半2戦に投入しています。このマシンもまたエンジントラブルにより完走はならなかったものの、パイプフレームとカーボンファイバーで造られたレーシーなフェアレディZのスタイルと、GTレースの中では異色なV型NAエンジンの野太いアメリカンサウンドに人気が集まりました。