RACING Z HISTORY

vol.3 海外レース(S30)

1970-1978

アメリカでの販売に主眼を置いて開発されたフェアレディZは、日本以上にクラブマンレースが盛んなアメリカで、プライベーターの味方として活躍してきました。 とりわけ、親日家のピート・ブロックは、発売と共にダットサン240Z(日本名:フェアレディ240Z)を入手。ダットサンフェアレディ1500から日産車でレースを戦ってきたボブ・シャープも、発売直後にダットサン240Zを手にし、早くも70年にはレースへの参戦を開始します。 ブロックが率いるBRE(ブロック・レーシング・エンタープライズ)の240Zは、大パワーと優れた操縦性で他を圧倒し、これをドライブしたジョン・モートンは、70年と71年のSCCAプロダクションCクラスで2年連続のチャンピオンを獲得。 またシャープも70年はSCCAを戦い、BREが活動を縮小した72年と73年にはSCCAのプロダクションCクラスでチャンピオンとなり、さらに75年には、71年に始まったIMSAのGTシリーズへ参戦し、2.5リットル未満のGTUクラスで10勝を挙げてチャンピオンに輝きました。

1970.7.4
SCCA・ナショナル・レース 北部地区
ダットサン240Z ジョン・モートン

1970.11.28
SCCA・ナショナル・レース 全米選手権
ダットサン240Z ジョン・モートン

240Zは、その後2.6リットル、2.8リットルと排気量を上げていき、74年には前年に活動を休止したBREの元エンジニアらが設立したエレクトラモーティブの260Zが、75年にはシャープの280ZがSCCAプロダクションCクラスでそれぞれタイトルを獲得。以後、78年までS30型は連続してタイトルを獲得する活躍を続けます。排気量を2.8リットルへと上げたSCCAと違い、IMSAではクラス分けの関係から、あくまでも240ZがGTUクラスでしのぎを削り、シャープがチャンピオンを獲得した翌年の76年には、ブラッド・フリッセルが240Zでチャンピオンを獲得しました。

また、S30型はアメリカだけでなくヨーロッパでも活躍。ル・マン24時間に初めて参戦した日産車にもなりました。75年には、フランスの地元チームが2393ccへと排気量を下げた260Zを持ち込み、アンドレ・アラー/ハンス・シュラー/ブノワ・メシュラーが2001~2500ccクラスで1位、総合でも26位で完走する快挙を達成しました。76年にも、GTクラスに2565ccの排気量でクロード・ビュシェ/リュック・ファヴレッセ/アンドレ・アラーが260Zでエントリーしましたが、惜しくもリタイアに終わりました。

vol.4:国内レース 1979-1996