RACING Z HISTORY

vol.2 国内レース(S30/240Z)

1970-1978

Z432での初優勝と前後して、日産では、輸出仕様に搭載されたL24型エンジンを搭載した「フェアレディ240Z」のレーシングカー開発を始めました。S20型エンジンは高性能だったものの、振動の問題があり、駆動系やエンジンの耐久性を上げ、Zの戦闘力を向上させるためでした。240Zは、Z432による初優勝からわずか3ヵ月後の70年7月26日、富士スピードウェイで開催された全日本富士1000kmレースへダットサン スポーツ240Zとしてエントリーし、高橋国光/黒沢元治がデビューウィン。 さらに、8月23日の全日本鈴鹿12時間自動車レースでは、グランド(G)ノーズ(正式名:エアロダイナ・ノーズ)を付けた240Zが、北野/砂子の手によりポールポジションを獲得するなど、耐久性と共に速さをアピールしました。北野は240Zを駆り、71年の全日本ドライバー選手権SIIクラスではチャンピオンを獲得しています。

2.4Lエンジンを搭載し、デビューウィンを果たした240Z
1970.7.26
全日本富士1000kmレース
#23 ダットサン・スポーツ240Z 高橋国光/黒沢元治

星野一義が駆る240ZG
1973.3.18
富士グランチャンピオンシリーズNO1
富士300キロスピードレース大会
S30 240ZG 星野一義

71年の日本グランプリ以降には、240Zはプライベーターにも供給されるようになり、特に、同年から始まった富士グラン・チャンピオンシリーズ(富士GC)では、雨の第2戦富士グラン300マイルレースで北野が総合優勝。翌72年の第2戦富士GC300マイルでも柳田春人が雨の中で総合優勝を飾り、雨に強いフェアレディZを印象づけました。しかし、コンパクトで強力なライバル、マツダ サバンナRX-3の登場により重い240Zは苦戦するようになります。性能向上のため、73年にはクロスフローヘッドのLY24型エンジンを搭載。75年にはLY26型エンジンを搭載した260ZRがデビュー。さらに、日産大森ワークスの手により2.8リットル、3リットルと260ZRは排気量を上げてライバルへの対抗を図りました。こうして迎えた78年のGCサポートレースでは、柳田が年間3勝を挙げてシリーズチャンピオンに輝きましたが、この年をもって、初代フェアレディZ(S30型)は国内レースの大舞台から姿を消すことになりました。

vol.3:海外レース 1970-1978