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ニュルではレースウィークの初めに強力なウィルス性の病気にかかってしまいました。 練習走行ではNISSAN GT-R NISMO GT3でいいタイムを出していたのですが、そのあとは医師から安静にするように言われ、ベッドで過ごさざるを得ませんでした。ニュルはとても楽しみにしていたので残念でしたが、チームメイトのアレックス、ニック、フローリアンが僕の分も運転してくれて、素晴らしい仕事をしてくれました。 ニュルの後、僕はSUPER GTの鈴鹿テストに参加する予定でしたが、病気が治りきらなかったので、欠席することになってしまいました。一週間休養したおかげですっかり回復し、また全開で活動を始めました。 僕はダラス経由で日本に戻ったのですが、飛行機が遅れたため、東京便への乗り継ぎのために走らなくてはならず、僕は「ダラス空港マラソン」に参加したような気持ちになりました。きっと周りの人たちは、「入国審査の列を一心不乱に急ぐこのスペイン人はいったい誰だろう?」と思ったことでしょう! 僕は何とか東京にたどり着きましたが、僕の荷物は間に合わず、しばらく不便な思いをしました。 日曜日は予選もあって大忙しでした。3号車はフロントタイヤの温まりが悪く、ウェットコンディションで苦戦しました。 ピットウォークとニスモのスポンサー挨拶(日本語で;))が終わると、僕は自分のレースキャリアの中でも最もタフなレースの一つになるであろう決勝に向けて準備が出来ていました。 スタートは僕が担当して、13番手からスタート。雨が降り出したのですぐにスリックからインターミディエイトに替えましたが、5ラップもするとコースは完全にドライになり、僕は再度スリックに履き替えるためピットインしました。その時点で僕たちは22番手まで順位を下げてしまったのですが、レース中にドライコンディションのコースを学んで順位を上げることができ、一樹も素晴らしい走りをしてくれたおかげで、9位で2ポイント獲得しました。ランキング上位車は、1台のBMWを除いて僕たちの後ろでした。今回は表彰台に載れたレースだったと思うし(レーシングドライバーはよく言うのですが)、インターミディエイトに替えたことは間違いだったと今はわかりますが、それがモータースポーツの難しさです。決断すべきことが次々とおこるのです。 今、僕たちはランキング6位ですが、3位とはほんの数ポイントの差ですし、トップからもそんなに離れていません。8月10日の富士は運命のレースになると思います。富士は僕がSUPER GTで初ポールを取ったサーキットなので、全力を尽くして勝ちを狙っていきます!
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