2021.12.3
2014年のSUPER GTは大改革のシーズンとなりました。09年以来となる車両規則の全面刷新が実施されたからです。
新しい車両規則は、ドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)との規則統合を目的にSUPER GTが、将来的なDTMとの交流戦開催を目指して導入したものでした。このため、DTMの車両規則を基本としながら、部分的に日本の事情を盛り込んだ規則とされました。
DTMの車両規則は、コスト削減を目指し、およそ60にもおよぶ共通部品の使用を義務づけるとともに、車両完成後の開発を厳しく制限している点に特徴がありました。
そうした共通部品のなかには、車体の骨格を成すカーボン製モノコックをはじめとして、足まわりの味付けを大きく左右するダンパー、ギヤボックス、クラッチ、プロペラシャフト、燃料タンク、データロガーおよびディスプレイなどが含まれていました。さらに空力開発が認められるのはデザインラインと呼ばれるライン以下のボディの低い部分に限られるほか、空力セッティングの種類を厳しく制限するなど、開発の余地は大きく狭められることとなりました。そして一度車両が完成すると、その後の3年間は一部部品を除き開発凍結となり大規模な開発を実質的に行えなくなる点も、これまでになかった特色といえます。
ただし、このような新規則によってマシンのパフォーマンスが低下したかといえば、現実は正反対で、どのサーキットを訪れてもラップタイムは大幅に短縮されました。これは、ダウンフォースの量が格段に増えたことに加え、新規定の2リッター4気筒直噴ターボエンジンが、従来の3.4リッターV8自然吸気エンジンを圧倒的にしのぐパワーを発揮したためでした。
日産/ニスモは、新規則に則したGT500仕様のGT-Rをいち早く開発すると、13年7月にシェイクダウンテストを実施。同年12月と翌年1月にはマレーシアのセパンサーキットに赴いて入念なテストを行ない新シーズンに備えました。
車両を順調に仕上げて臨んだ開幕戦の予選では、#12 カルソニックIMPUL GT-Rが2番グリッド、#46 S Road MOLA GT-Rが3番グリッド、#23 MOTUL AUTECH GT-Rが6番グリッドと好成績を収めます。このレースでは#12 GT-Rが3位に食い込んだものの、#23 GT-Rは不運なアクシデントに巻き込まれて7位、#46 GT-Rは10位に終わります。
第2戦では#12 GT-Rが優勝。この時点でランキングのトップに躍り出ますが、第3戦では#23 GT-Rが優勝して反撃開始。その後の5戦で優勝1回を含む3度の表彰台を獲得し、見事最終戦で逆転チャンピオンに輝いたのです。
続く15年も、前年とよく似た展開となりました。シーズン前半をリードしたのは#12 カルソニックIMPUL GT-Rで、第5戦までに51ポイントを獲得してランキングトップに浮上。39ポイントの#1 MOTUL AUTECH GT-Rを突き放します。ところが転機となった第6戦で#12 GT-Rがノーポイントに終わると、#1 GT-Rは手堅く6位に入ってポイント差を短縮。残る2戦を優勝と2位で締めくくり、#1 GT-Rは2連覇を達成したのです。これでドライバーのロニー・クインタレッリ選手は通算4度、松田次生選手は2度、タイトルを獲得したことになりますが、そのすべてをGT-Rで勝ち獲ったことは特筆すべきでしょう。
新規則が導入されて3年目の16年は、この規則で競われる最後のシーズンとなりました。翌年からは、DTMとの共通部分をさらに増やした新しい車両規則が導入されるためです。14年以来、2連覇を成し遂げている日産/ニスモは、有終の美を飾るべく全力で新シーズンに挑みました。
#1 MOTUL AUTECH GT-Rは、3番グリッドからスタートした開幕戦で優勝を飾ると、4番グリッドからスタートした第2戦でも優勝。開幕2連戦を達成したことでタイトル獲得は確実と思われましたが、ここから#1 GT-Rは苦難の道を歩むことになります。まず、開幕2連戦を果たしたことで第3戦には早々と80kgものハンディウェイトを背負うことになったうえ、レース終盤に4番手を走行していた第6戦では最終ラップにガス欠症状が出るトラブルによりコースサイドに停止。結果、6位に認定されるといった不運に見舞われました。続く第7戦でも大クラッシュを喫し、最終的にランキング3位でシーズンを終えたのです。
とはいえ、3シーズンで2度タイトルを勝ち獲り、残る1シーズンも3位でシリーズを終えたGT-Rは、14年規則で開発された最強のGT500車両だったといっても過言ではないでしょう。