― まずは自己紹介をお願いできますか?「キャップーと呼んであげてください」とか神辺須さんにブログで書かれてましたけど(笑)城戸さんからお願いします。
左:神辺須 右:城戸
城戸: 名前は城戸(キド)真吾といいます。42歳。今はニスモのモータースポーツマーケティング部という主に、スポンサー対応や、モータースポーツプロモーション活動、フェスティバルのプロジェクトセンターという業務を5人のチームで担当している部のマネージャーを務めています。ニスモに入社して10年目、昨年からはモータースポーツのプロモーション活動やSUPER GTでの出店業務、去年は事務局と呼んでましたが、初めてフェスティバルの事務局長を担当して、そして今年の4月から、さきほど言った現在の仕事をしている、というところです。
― 続いて神辺須さんも自己紹介をお願いします。
神辺須: はい。神辺須(カベス)健と言います。2004年に入社しまして、2008年から今の業務、スポンサー担当になっています。今年の4月からモータースポーツプロモーションの実務的な業務や、フェスティバルのプロジェクトセンター業務が増えました。入社8年目で、若手と言えなくなってきたし、そろそろなんか仕事で一発ぶち上げたいと思っている今日この頃な30歳です。
― では最初は、フェスティバルにかける思いと意気込みを “宣言”していただけますか?
城戸: 宣言、ですか。えっと、私のフェスティバルにかける思いは人一倍あると思っていて、実はニスモに入る前、97年に富士スピードウェイで行われたフェスティバル初年度に、一ファンとして行ってるんですよ。広島から自走で、車で行きまして、前泊して・・・
神辺須: 広島から自走?前泊?熱いですねー。
城戸: そう。フェスティバルは本当に素晴らしい、熱いイベントだと思ったあの時の気持ちは今でも忘れてない自信があります!どうしたらファンに楽しんでもらえるか、というのを考えながら日々仕事をし、なんとかファンの声の100%になるべく近いものを提供するために頑張ってます。日産、ニスモに対する熱い思いをファンと共有していきたい!という気持ちでやっているので、それを意気込みに変えていきたいですね。
― なるほど。城戸さんも熱い日産、ニスモファンのお一人、ということですね。神辺須さんは?
神辺須: 普段から言ってるんですけど、フェスティバルって、日産ファンにとって聖地巡礼みたいなものだと思ってるんですよ。だからお客さんの期待値が毎年すごく高いし、僕らはそれに応えなきゃいけないと思ってます。そのために何ができるかっていうのは、僕らプロジェクトセンターだけじゃなくて、社員みんな心のどこかで「あ、こんなことフェスティバルでやったら面白いんじゃないの?」とか普段から考えてると思うんですよね。だからプロジェクトセンターとして、みんなのそういう気持ちを引き出していけるような仕事をしたいですね。これからもファンの皆さんにはぜひフェスティバルに期待して欲しいって思うから、それに負けないように気合をいれてやってます!!
城戸: 気合がすごくて、良いね。
― こんなに気合十分な部下が居て、上司として安心ですね。
城戸: そう。これでね、つまんなそうに「仕事なんでやってます」とか言う部下だったら大変ですよ。
神辺須: いやー、やっぱりちょっとね、仕事なんで(笑)
― プロジェクトセンターならではの良かったことは?
城戸: 去年初めて1年間フェスティバルの事務局業務をやって、フィナーレの時にお客さんの声援を聞いた時は、お客さんが非常に喜んでくれたのが実感できて、本当に苦労した甲斐があったなって非常に達成感がありましたね・・・。もちろん担当者も達成感、満足感があるんだろうけど、やっぱりプロジェクトセンターってところに居ると、多少細かいミスはあるものの、今日一日をなんとか一応無事にやり終えた、やり遂げた、っていう時になんとも言えない気持ちになった。言葉では言えないくらいの醍醐味で、やっぱり苦労も多いから、多少のご褒美って感じに取れましたね。
神辺須: 僕も同じで、プロジェクトセンターは業務量的にやっぱりちょっと多いっていうのもあるから、一番はイベントの最後まで残ってくれたファンの人が最後に声援を送ってくれるのを見た時。あー良かったー!!って思いますね。フェスティバルだけじゃなくて、今年も一年この仕事やってて良かったなー!って気分になれるって言うのが、この仕事の一番面白いとこかな。こっそりね、毎年泣きそうになってるんです。
城戸: いや、もう泣いてるらしいですよ(笑)!涙が出てたって。
神辺須: 最近ね、本当にすぐ泣くんですよ。
城戸: 若いのに?笑。どうする?もう10年したら、号泣しちゃうよ?
神辺須: その頃には泣きっぱなしですね、ほとんどね。
― でも、イベント終了時にファンの声を聞いて「この仕事やってて良かった」って思う気持ちは、ニスモ社員みんな分かると思います。
城戸: ニスモ社員の総意だよね。みんなそう思ってると思う。特にこのフェスティバルの時は。
― 城戸さんは9回、神辺須さんは7回フェスティバルに関わってきてるわけですが、良い意味でも悪い意味でも、“今までで一番記憶に残ってるフェスティバル”を教えてください。
神辺須: えー、今まで本当に色々あったから、一つなんて無理なんですけど!
― 絞ってください(笑)
神辺須: 強いてあげるなら、そうですねぇ、2007年かな。事前準備の最後の最後で社内のみんなに「助けて」って言ったことあったじゃないですか。
城戸: NISSAN GT-RのSUPER GTテストカーをお披露目した年だよね。
神辺須: あの年は本当に印象的。僕はあの年も事務局スタッフを担当してたんだけど、事務局の仕事がすごく切羽詰っちゃったんです。事務局長はもうぴりぴりしてるし、周りは心配になって僕のところに「大丈夫かよ?」って聞きにくるんですけど、そんなこと言われたって僕には分からないし、大丈夫ですか?なんてぴりぴりしてる事務局長に聞けるわけないじゃん!みたいな状況で。で、イベントの2週間くらい前になって本当にヤバくなって、そこでようやくみんなに「すみません、手が足りないんで手伝ってください」って言ったんですけど、そこから2週間で動いた仕事の量っていうか、社内の動きを見て、うちの会社ってすごいかもしれないって思ったんですよね。
城戸: 底力がね
神辺須: そう。そもそも本当はこうなっちゃいけなかったんですけど、でもこういう時にね、底力を発揮して何とかしちゃうのをすごいなって感じたのが2007年の印象の一つ。もう一つは、その年にNISSAN GT-RのSUPER GTテストカーをお披露目して、あの時のお客さんの熱い視線がすごく印象に残ってます!あれはやっぱりGT-Rっていうブランドの強さをすごく感じたし、GT-Rってニスモとファンの架け橋になるような車なんだなっていうのを感じて、2007年は良いことも悪いこともたくさんあって、イベント後の達成感もすごくあったし、強く印象に残ってますね。
― 城戸さんの一番の思い出はいつですか?
城戸: 私も一つを上げるのが難しいなぁ。本当は2つって言いたいんだけど。
神辺須: 良いんじゃないですか?2つで。僕も本当に他にもいっぱいありますよ。本当にいっぱい・・・・。
城戸: でも一つってあげるなら、やっぱりさっき言った97年の第1回目ですね。
― 城戸さん、それ入社前です。
城戸: え?入社前はダメなの?
― 一応、社員的に一番記憶に残ってることっていうのがトークテーマなんですけど・・・苦笑。
神辺須: まぁ、でも聞いて見ましょうよ、話として。
城戸: じゃぁ、一つはその97年。広島の田舎町でこのイベントをチラシかなんかで知ってね、これはもう何があっても行くしかないと。そして行って見たら「まぁ、パラダイスよ」と。
一同: 笑
城戸: 当時の私からするともう本当にパラダイス。日産車しか走ってないし、それも新旧ね。当時もう現役を引退してたGr.AとかGr.Cとかが目の前で走る感動と興奮は、もう本当に他のどんな価値のあるレースよりワクワクしたし、忘れられない思い出です。行ってよかったと今でも思ってます。
城戸: 社員になって携わるようになったけど、でもやっぱりこの97年っていうのがもうずっと幹として全然ぶれずに私の中に生きてて、これが全ての始まりだなと思ってるから、今年で15回目になるけど、一番はやっぱり97年かなぁと言う気がします。
社員になってからだと、色々あるけど、やっぱり旧事務局長というか、自分がプロジェクトセンターとして携わった昨年のフェスティバルですね。これは過去のフェスティバルとちょっと違う思い出として残ってて、さっきも言ったけど、感動の度合いが全然違ったし、何物にも変えられない経験をさせてもらったことを考えると、非常に苦労はしたんだけど、一方で大きな充実感もあって、一番かなぁと思います。
― 苦労が報われた、ってことですね。
城戸: そうですね。まぁ、100%じゃないんでしょうけど、まぁそれは何でもそうだし、100%だと思ったら進歩がないから。やっぱり毎年進歩して、常に最新のフェスティバルが最良のフェスティバルだって思えるようにしたい。
神辺須: GT-Rみたい。
城戸: そう、GT-Rみたいなんですけど。でも続くイベントっていうのはそうあるべきだと思う。やっぱりね、お客さんに、何年が一番良かった、去年はしょぼかったって思われたくないので、やっぱりちょっとずつでも良いから、前年よりは良いイベントにしたいなぁって言うのはありますね。
― 今すごい良いこと聞きましたから、太字にしときますね!
神辺須: そう、良い話はちゃんと太字にしといてくださいよ!笑。
後篇へ続く…。