星野一義選手
レーシングドライバーを引退

2002.8.28

日産系ドライバーである星野一義選手が、8月28日をもってレーシングドライバーを引退する。今後は自らのチームの監督として、後進ドライバーの育成にあたる。

星野選手は、1947年7月1日、静岡県生まれの55歳。1963年に2輪のモトクロス競技からモータースポーツの世界に入り、カワサキのワークスライダーとしてチャンピオンを獲得するなど活躍。1969年には日産自動車と契約を交わし、4輪へ転向した。ツーリングカー、スポーツカー、GTカー、フォーミュラなどさまざまなカテゴリーで活躍し、600戦近いレースに参戦してきた。76年と77年には富士スピードウェイで開催されたF1GPにスポット参戦し、76年には雨の中、一時3位を走り観衆を沸かせた。

70年筑波サーキットのオープニングレースでスカイラインGT-Rで初優勝を遂げてから、最後の優勝となった2000年の全日本GT選手権(JGTC)第6戦MINEまで、判明分だけで日本人として最多の133勝を挙げ、また21もの4輪チャンピオンタイトルを獲得した。“日本一速い男”と呼ばれ、30年以上にわたり日本のモータースポーツ界を支えてきた。

星野選手は、海外のレースにも参戦し、92年のデイトナ24時間では、長谷見昌弘/鈴木利男両選手とともにニッサンR91CPで総合優勝。98年にはル・マン24時間で、鈴木亜久里/影山正彦両選手とともにニッサンR390GT1で日本人トリオによる最高位(当時)、3位を獲得した。

1997年春にトップフォーミュラから引退し、99年からはJGTCに専念。今年7月のJGTC第5戦富士が最後のレースとなった。

夢を持ってチャレンジすることの素晴らしさを教えてくれたのはレース。これからもレースを愛していきたい。
2002年8月28日星野一義選手引退記者会見の模様



星野一義 Racing Career
1947年 7月1日静岡県静岡市生まれ
1963年 神奈川県海老名市のカワサキ・コンバットという2輪のレーシングチームに入る。
1964年 2輪モトクロス・レースを開始。和歌山でのデビュー戦は、転倒・脳震盪で入院
1965年 4月17〜18日、第12回全日本モトクロス大会ノービス90ccクラスで初優勝。年間4勝。
MCFAJランキング/ノービス90ccチャンピオン
1966年 モトクロスで年間5勝を挙げる
1967年 MFJ全日本モトクロスランキング/ジュニア125cc、同250cc両クラスで2位
1968年 カワサキ(神戸・木の実レーシング)の契約ライダーとなる。
MFJ全日本モトクロスランキング/セニア90cc、同125cc両クラスでチャンピオン。
セニアクラス最優秀選手としてヨーロッパへ派遣
1969年 日産自動車の契約ドライバー採用テストに合格。
11月にスカイラインGT-Rを駆って4輪レースデビュー(富士スピードフェスティバルで4位)
1970年 筑波サーキットのオープニングレースにて4輪レース初優勝(スカイラインGT-R)
1971年 富士ツーリングチャンピオンA部門6位
1972年 4月の「レース・ド・ニッポン」でチェリークーペで総合2位=クラス優勝(w/歳森康師)。
「富士1,000km」ではサニー1200クーペで総合5位=クラス優勝(w/寺西孝利)
1973年 富士GCマイナーツーリングシリーズ3位
1974年 5月、FJ1300(マーチ733・ニッサン)のデビュー戦で優勝、注目を集める。
11月の「JAF鈴鹿GP」で国内トップフォーミュラ(F2000)デビュー3位入賞
1975年 シーズン半ば以降、全日本F2000選手権/富士GCシリーズにレギュラー参戦。
全日本F2000チャンピオン。富士GCで最高2位
1976年 日本初開催となる、「F1世界選手権イン・ジャパン」(富士)に旧型ティレル007・フォードでF1スポット参戦。
大雨の中、一時3位を走る。
名門ヒーローズ・レーシングに加入。全日本FJ1300チャンピオン(マーチ733・ニッサン)
1977年 全日本F2000チャンピオン。鈴鹿F2シリーズ2位。
2度目となるF1日本GPにはコジマKE009・フォードで参戦し、決勝11位
1978年 全日本F2シリーズ2位。
4輪初の海外遠征となるヨーロッパF2選手権2戦(仏ルーアン、英ドニントン)に日本製ノバ532・BMWでスポット参戦。
1979年 全日本F2選手権2位。鈴鹿F2チャンピオン。富士GCシリーズ5位。
「マカオGP」初参戦も、予選でクラッシュし決勝欠場
1980年 全日本F2選手権2位。鈴鹿F2シリーズ3位
1981年 全日本FP(フォーミュラ・パシフィック)チャンピオン(マーチ79B・ニッサン)。
全日本F2選手権2位。鈴鹿F2シリーズ2位。富士GCシリーズ4位。
オーストラリアのツーリングカーレース「バサースト1000」初参戦
1982年 富士GCチャンピオン。全日本FPチャンピオン(ラルトRT4・ニッサン)。全日本F2選手権2位。鈴鹿F2シリーズ2位。豪「バサースト1000」でブルーバードターボを駆りクラス優勝(総合8位)。「マカオGP」予選2位決勝リタイア
1983年 ヒーローズ・レーシングを離れ、自らのホシノレーシングから参戦。全日本F2選手権2位。鈴鹿F2チャンピオン。富士GCチャンピオンシリーズ2位。
英ドニントンF2にスポット参戦し4位。富士スーパーシルエット・シリーズ2位(シルビアターボ)
1984年 富士GCチャンピオン。全日本F2選手権3位。鈴鹿F2シリーズ2位
1985年 グループC/スポーツカーによる大雨の「WEC IN JAPAN」(富士)でマーチ85G・ニッサンを駆り優勝(w/萩原光/松本恵二)、世界選手権戦を制した最初の日本人となる。富士GCチャンピオン
1986年 全日本F2選手権2位。鈴鹿F2チャンピオン。富士GCシリーズ4位。
ル・マン24時間にマーチ86G・ニッサンで初挑戦(w/松本恵二/鈴木亜久里)しリタイア。
JSPC(全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)にマーチ86G・ニッサンで参戦
1987年 日本F3000チャンピオン。富士GCチャンピオン。
JSPCにマーチ87G・ニッサンでフル参戦。ホンダF1ターボ・エンジンの国内での開発ドライバーを担当
1988年 全日本F3000選手権2位。GCシリーズ3位
1989年 全日本F3000選手権3位。全日本GCシリーズ5位。
全日本ツーリングカー選手権ではスカイラインGTS-Rで1勝(w/北野元)
1990年 全日本F3000チャンピオン。全日本ツーリングカー選手権チャンピオン(スカイラインGT-R、w/鈴木利男)。
JSPC3位(ニッサンR90CP)。ル・マン24時間では、ニッサンR90CP(w/長谷見昌弘/鈴木利男)で予選3位決勝5位
1991年 JSPCチャンピオン(ニッサンR91CP、w/鈴木利男)。
全日本ツーリングカー選手権3位(スカイラインGT-R。w/鈴木利男)
1992年 JSPC-C1チャンピオン(ニッサンR92CP、w/鈴木利男)。
デイトナ24時間ではニッサンR91CPを駆り、日本車として初の総合優勝(w/長谷見昌弘/鈴木利男)を果たす
1993年 全日本F3000チャンピオン。
全日本ツーリングカー選手権2位(スカイラインGT-R、w/影山正彦)
1994年 全日本F3000選手権8位。
新生JTCC(全日本ツーリングカー選手権)8位(プリメーラ)
1995年 全日本F3000選手権4位。JTCC3位(プリメーラ)
1996年 全日本フォーミュラ・ニッポン3位。JGTC(全日本GT選手権)4位(スカイラインGT-R、w/影山正彦)。
ル・マン24時間ではニスモGT-R LMを駆り(w/長谷見昌弘/鈴木利男)15位完走
1997年 春、国内トップフォーミュラからの引退を電撃表明。通算成績は166戦中39勝・42回のポールポジションを獲得。
ル・マン24時間にニッサンR390で参戦し(w/エリック・コマス/影山正彦)12位完走。
JGTCにスカイラインGT-R(w/本山哲)で参戦
1998年 ル・マン24時間にニッサンR390で参戦し(w/鈴木亜久里/影山正彦)、日本人トリオ初の表彰台3位(総合)。
JGTC5位(スカイラインGT-R、w/黒澤琢弥)
1999年 JGTC6位(スカイラインGT-R、w/影山正美)
2000年 JGTC3位(スカイラインGT-R、w/本山哲)。最終戦MINEの優勝が最後の優勝となる
2001年 JGTC13位(スカイラインGT-R、w/本山哲)
2002年 JGTCに参戦(スカイラインGT-R、w/田中哲也)。8月28日をもって現役ドライバー引退を表明。
※w/=with
チャンピオン獲得履歴
2輪 1965年 MCFAAJノービス90ccクラス
1968年 MFJ全日本モトクロス セニア90ccクラス
MFJ全日本モトクロス セニア125ccクラス
4輪 1975年 全日本F2000選手権
1976年 全日本FJ1300選手権(マーチ733・ニッサン)
1977年 全日本F2000選手権
1978年 全日本F2選手権
富士GCシリーズ
1979年 鈴鹿F2選手権
1981年 全日本FP選手権(マーチ79B・ニッサン)
1982年 全日本FP選手権(ラルトRT4・ニッサン)
富士GCシリーズ
富士GCスーパーシルエット
1983年 鈴鹿F2選手権
1984年 富士GCシリーズ
1985年 富士GCシリーズ
1987年 日本F3000選手権
富士GCシリーズ
1990年 全日本F3000選手権
全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-R)
1991年 全日本スポーツプロトタイプカー選手権(ニッサンR91CP)
1992年 全日本スポーツプロトタイプカー選手権/C1(ニッサンR92CP)
1993年 全日本F3000選手権
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