1947年 |
7月1日静岡県静岡市生まれ |
1963年 |
神奈川県海老名市のカワサキ・コンバットという2輪のレーシングチームに入る。 |
1964年 |
2輪モトクロス・レースを開始。和歌山でのデビュー戦は、転倒・脳震盪で入院 |
1965年 |
4月17〜18日、第12回全日本モトクロス大会ノービス90ccクラスで初優勝。年間4勝。 MCFAJランキング/ノービス90ccチャンピオン |
1966年 |
モトクロスで年間5勝を挙げる |
1967年 |
MFJ全日本モトクロスランキング/ジュニア125cc、同250cc両クラスで2位 |
1968年 |
カワサキ(神戸・木の実レーシング)の契約ライダーとなる。 MFJ全日本モトクロスランキング/セニア90cc、同125cc両クラスでチャンピオン。 セニアクラス最優秀選手としてヨーロッパへ派遣
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1969年 |
日産自動車の契約ドライバー採用テストに合格。 11月にスカイラインGT-Rを駆って4輪レースデビュー(富士スピードフェスティバルで4位) |
1970年 |
筑波サーキットのオープニングレースにて4輪レース初優勝(スカイラインGT-R) |
1971年 |
富士ツーリングチャンピオンA部門6位 |
1972年 |
4月の「レース・ド・ニッポン」でチェリークーペで総合2位=クラス優勝(w/歳森康師)。 「富士1,000km」ではサニー1200クーペで総合5位=クラス優勝(w/寺西孝利) |
1973年 |
富士GCマイナーツーリングシリーズ3位 |
1974年 |
5月、FJ1300(マーチ733・ニッサン)のデビュー戦で優勝、注目を集める。 11月の「JAF鈴鹿GP」で国内トップフォーミュラ(F2000)デビュー3位入賞 |
1975年 |
シーズン半ば以降、全日本F2000選手権/富士GCシリーズにレギュラー参戦。 全日本F2000チャンピオン。富士GCで最高2位
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1976年 |
日本初開催となる、「F1世界選手権イン・ジャパン」(富士)に旧型ティレル007・フォードでF1スポット参戦。 大雨の中、一時3位を走る。 名門ヒーローズ・レーシングに加入。全日本FJ1300チャンピオン(マーチ733・ニッサン) |
1977年 |
全日本F2000チャンピオン。鈴鹿F2シリーズ2位。 2度目となるF1日本GPにはコジマKE009・フォードで参戦し、決勝11位 |
1978年 |
全日本F2シリーズ2位。 4輪初の海外遠征となるヨーロッパF2選手権2戦(仏ルーアン、英ドニントン)に日本製ノバ532・BMWでスポット参戦。
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1979年 |
全日本F2選手権2位。鈴鹿F2チャンピオン。富士GCシリーズ5位。 「マカオGP」初参戦も、予選でクラッシュし決勝欠場
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1980年 |
全日本F2選手権2位。鈴鹿F2シリーズ3位 |
1981年 |
全日本FP(フォーミュラ・パシフィック)チャンピオン(マーチ79B・ニッサン)。 全日本F2選手権2位。鈴鹿F2シリーズ2位。富士GCシリーズ4位。 オーストラリアのツーリングカーレース「バサースト1000」初参戦
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1982年 |
富士GCチャンピオン。全日本FPチャンピオン(ラルトRT4・ニッサン)。全日本F2選手権2位。鈴鹿F2シリーズ2位。豪「バサースト1000」でブルーバードターボを駆りクラス優勝(総合8位)。「マカオGP」予選2位決勝リタイア |
1983年 |
ヒーローズ・レーシングを離れ、自らのホシノレーシングから参戦。全日本F2選手権2位。鈴鹿F2チャンピオン。富士GCチャンピオンシリーズ2位。 英ドニントンF2にスポット参戦し4位。富士スーパーシルエット・シリーズ2位(シルビアターボ)
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1984年 |
富士GCチャンピオン。全日本F2選手権3位。鈴鹿F2シリーズ2位 |
1985年 |
グループC/スポーツカーによる大雨の「WEC IN JAPAN」(富士)でマーチ85G・ニッサンを駆り優勝(w/萩原光/松本恵二)、世界選手権戦を制した最初の日本人となる。富士GCチャンピオン |
1986年 |
全日本F2選手権2位。鈴鹿F2チャンピオン。富士GCシリーズ4位。 ル・マン24時間にマーチ86G・ニッサンで初挑戦(w/松本恵二/鈴木亜久里)しリタイア。 JSPC(全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)にマーチ86G・ニッサンで参戦
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1987年 |
日本F3000チャンピオン。富士GCチャンピオン。 JSPCにマーチ87G・ニッサンでフル参戦。ホンダF1ターボ・エンジンの国内での開発ドライバーを担当
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1988年 |
全日本F3000選手権2位。GCシリーズ3位 |
1989年 |
全日本F3000選手権3位。全日本GCシリーズ5位。 全日本ツーリングカー選手権ではスカイラインGTS-Rで1勝(w/北野元)
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1990年 |
全日本F3000チャンピオン。全日本ツーリングカー選手権チャンピオン(スカイラインGT-R、w/鈴木利男)。 JSPC3位(ニッサンR90CP)。ル・マン24時間では、ニッサンR90CP(w/長谷見昌弘/鈴木利男)で予選3位決勝5位
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1991年 |
JSPCチャンピオン(ニッサンR91CP、w/鈴木利男)。 全日本ツーリングカー選手権3位(スカイラインGT-R。w/鈴木利男)
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1992年 |
JSPC-C1チャンピオン(ニッサンR92CP、w/鈴木利男)。 デイトナ24時間ではニッサンR91CPを駆り、日本車として初の総合優勝(w/長谷見昌弘/鈴木利男)を果たす
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1993年 |
全日本F3000チャンピオン。 全日本ツーリングカー選手権2位(スカイラインGT-R、w/影山正彦)
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1994年 |
全日本F3000選手権8位。 新生JTCC(全日本ツーリングカー選手権)8位(プリメーラ)
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1995年 |
全日本F3000選手権4位。JTCC3位(プリメーラ) |
1996年 |
全日本フォーミュラ・ニッポン3位。JGTC(全日本GT選手権)4位(スカイラインGT-R、w/影山正彦)。 ル・マン24時間ではニスモGT-R LMを駆り(w/長谷見昌弘/鈴木利男)15位完走
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1997年 |
春、国内トップフォーミュラからの引退を電撃表明。通算成績は166戦中39勝・42回のポールポジションを獲得。 ル・マン24時間にニッサンR390で参戦し(w/エリック・コマス/影山正彦)12位完走。 JGTCにスカイラインGT-R(w/本山哲)で参戦
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1998年 |
ル・マン24時間にニッサンR390で参戦し(w/鈴木亜久里/影山正彦)、日本人トリオ初の表彰台3位(総合)。 JGTC5位(スカイラインGT-R、w/黒澤琢弥)
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1999年 |
JGTC6位(スカイラインGT-R、w/影山正美) |
2000年 |
JGTC3位(スカイラインGT-R、w/本山哲)。最終戦MINEの優勝が最後の優勝となる |
2001年 |
JGTC13位(スカイラインGT-R、w/本山哲) |
2002年 |
JGTCに参戦(スカイラインGT-R、w/田中哲也)。8月28日をもって現役ドライバー引退を表明。 |