夢を持ってチャレンジすることの素晴らしさを教えてくれたのはレース。
これからもレースを愛していきたい。

2002年8月28日 星野一義選手引退記者会見

 100名を超えるメディアが集まった記者会見場に星野一義選手が登場。NISMO佐々木健一社長のあいさつの後、星野選手が引退の理由を語り始めた。

「ちょうどお盆前にニッサン、NISMOに相談しました。かねてから痛みを抱えていた腰がベストな状態に戻らないので、チームとして貢献するには新しいドライバーを迎えた方がいい結果が出るのではないか、自分をクビにするのが一番じゃないかと。

この5〜6年ヘルニアを抱えながら走ってきましたが、年齢を重ねるにつれ一緒に乗ってる本山や(田中)哲っちゃんにコンマ5秒、コンマ8秒と遅れてしまう。意欲とチャレンジする心はあって、なんとかがんばってみるんだけど、自分でムチ打っても補いきれないし。自分にお疲れさまって言ってもいいんじゃないかと思いました。女房にも話をしたら同意してくれました。それで日産に言ったら分かってくれて『ご苦労さまでした』ということで。

お盆の前でちょうど休みに入るので、発表できるまでは秘密にしておいたんですが、休みのある日、テレビで『星野が〜』なんて言ってて、阪神のことだと思ったら自分の引退のニュースでした。(去年の免停を掲載した)フォーカスの時もそうだったけど、秘密というのは守れないなあと思いましたね(場内大爆笑)。

4輪に転向してからはニッサンに世話になって、レースだけじゃなく、テストも多く走りました。よく『日本一速い男』と言われてきましたがそれについては自信はない。でも『日本一走行距離数の多い男』だったということには自信があります。ニッサン、ブリヂストン、カルソニック他、本当に感謝しています。

今後は監督業として活動することになります。これまでサーキットでは目つきが悪かったようなのですが、これからは温厚な星野でありたい(笑)。それでもレースのときは2位ということは考えていないので、ホシノレーシングとしてベストを尽くしていきたいです。夢を持ってチャレンジすることの素晴らしさを教えてくれたのはレースだったので、これからもレースを愛していきたいと思います。今後も、よろしくお願いします」

目も潤み、言葉も詰まりそうになりなった星野選手に、大きな拍手が贈られた。その後、日産自動車の富井史郎常務が、星野選手の労をねぎらうスピーチの後、質疑応答となった。

Q:4輪初優勝(70年筑波)の思い出は?
星野:「筑波のオープンでライバルはマークU、僕はスカイラインの4ドアだったと思うけど、当時はキャブ仕様でした。濃い目のガソリンで7000〜8000回転でのサウンドに酔ってましたね」

Q:よく言われた圧勝の“星野パターン”とは?
星野:「ずっと、120%のレースをするんじゃなくて100%を維持しようとしました。僕は臆病で、いつもおびえている。後続を引き離してももっと逃げなきゃ、2秒、3秒、5秒と離さなきゃ……、そんなレースをしていました。臆病なのが良かったんだと思います」

Q:これまで引退を考えたことは?
星野:「モーターサイクル(2輪)の5年間にも何度もありました。4輪転向後も5〜6回ある。『このまま名声もいらない、逃げ出したい』と思ったことも。楽しいレースは一度もありません。その点、ゴルフは前の日にクラブを磨いたりして楽しいです。だからこんなレースなんて絶対息子(F3ドライバーの一樹選手)にはやらせちゃいけないと思ってたけど、育て方を間違えたのか、親の言うとおりにはならないね(場内爆笑)」

Q:引退を決意したのはいつごろですか?
星野:「去年の最終戦は腰痛がひどくて運転しながら唸ってるような状態で悲劇でした。テストでは(田中)哲ちゃんにナンバーワンを任せてそれに合わせるようにしていましたが、でも周回数も少ないし、遅いし、パッと乗って使えるのがナンバー2ドライバーなのに、それができない。朝起きるときも両手をつかないと起きられない。ゴルフみたいに腰をねじったりするのは平気なのに、運転中に下から硬いサスペンションのドーンという衝撃がたまらなくて……。でもそんなことは人に言えることじゃないけど、だましきれないのが現状でした。今は正直ホッとしています」

最後に本山哲選手、田中哲也選手、由紀子夫人、娘の準子さんから花束が贈呈され、ひとことずつ星野選手にあいさつを述べた。そして会場の拍手に何度も深々と頭を下げ会場を後にしたのだった。

ひとつの時代が終わった。

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