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NISMOは1995年からR33スカイラインGT-RベースのNISMO GT-R LMによるル・マン24時間レース挑戦を3カ年計画で進めていた。しかし、2年目となる1996年のレースでは、すでに量産車のスチールモノコックボディをベースにしたマシンでは勝負権がないことは明確だった。そこで1997年のル・マンには、新たにR390 GT1というライバルと同等のカーボンモノコックボディのスーパースポーツによる参戦を決断。ポルシェ911 GT1やマクラーレンF1 GTRとようやく互角の勝負ができる体制になったのだ。
いわば3カ年計画の最終年で、大幅な方針変更をおこなった。
GT-R LMによるル・マン参戦は「Club Le Mans GT-R」という一般のファンからなるサポーターズ組織のバックアップがあってこそ実現したプロジェクトだった。「Club Le Mans GT-R」の組織名には「NISMO GT-R SUPPORTORS ASSOCIATION」というサブタイトルもあり、GT-Rによるル・マン参戦をサポートするファンの組織だった。3ヵ年計画の途中でマシンをGT-R LMからR390 GT1に変更することは、Club Le Mans会員に説明し、理解していただく必要がNISMOにはあった。
そこで、当時NISMOの社長であった安達二郎氏の指示で、会員および日産・NISMOファンに対して一定の区切りをつけるためのイベントを計画することになった。当時の中堅社員10名程度が集まり、コアメンバーというプロジェクトチームを組織。イベント開催に向けた様々な準備をコアメンバー中心に進められることになった。安達社長からの指示は、社員全員の手作りでファンへの感謝の気持ちを表現することだった。
既にご紹介したように、NISMOは1987年からファン感謝祭を行なっていた。やがて「サマーフェスティバル」と名称を変え、1992年には追浜のテストコースで開催。名称も「NISMOフェスティバル‘92追浜」と改め、実際にレースカーをテストコースで走らせ大好評だったが、この年を最後にファン感謝イベントは途絶えていた。
そこで5年ぶりとなる新しいイベントは「NISMO FESTIVAL」とし、場所も富士スピードウェイで開催することが決まった。というのも、1992年に追浜のテストコースで開催した際に、「次は絶対、富士でやろう!」というのがNISMO社員の希望だったのだ。
メインの企画はR390 GT1の国内初披露。なにしろ、ファンはもちろん、ほとんどのNISMO社員ですら実物を見たことがない車両だった。これをファンの前で走らせることをメインとし、また、歴代GT-Rの歴史を感じてもらうことも大きなトピックスとされた。
ところで、当時の富士スピードウェイにはエリアの図面がなかった。そこでコアメンバーが何度も現地に足を運び、パドックやピットの寸法、電源の位置などを測量し図面化、会場のレイアウト図を作成した。また、駐車券や入場券、各種案内看板などもすべて社員がコピー機や社内の印刷機を使って制作した。
メイン企画は本コースを使った走行イベントで、とくにドライバーは、トークショーやチャリティー企画などで取り合いのような状況で、分単位にドライバーのスケジュール表が作成された。同時に社員全員と車両ごとのスケジュールも分単位で製作された。こうしたスケジュールは何度も更新され、そのたびに侃々諤々の議論が重ねられた。
一方、テーブルや椅子、車両を囲うバナー類のほか、観葉植物のたぐいもすべて社内にあるものを持ち込んだ。また、この種のサーキットイベントでは初めてとなった乳幼児ルームを設置。子供向けのビデオやおもちゃ類も、子育て中の社員が持ち寄った。
こうして1997年11月29日の土曜日、NISMOの全社員が富士スピードウェイに集結。翌日のイベントに向けて会場の準備がはじまった。この日は、朝から冷たい雨が降り寒い日となった。当時は、こうしたイベントにおけるレンタル品や専門業者によるテント設営ができることなどを知らなかったため、出展社向けのテントなどは社員が一つずつ組み立てた。
ところが、準備も完了しコアメンバーが最終の確認で富士スピードウェイに残っていた夜から暴風雨となり、せっかく組み立てたテントは強風で飛ばされてしまった。少ない人数でびしょ濡れになりながら飛ばされそうなテントを押さえ、強風対策を行ない、宿泊施設に入ったのは0時を過ぎていた。
翌1997年11月30日の日曜日は、一転、朝から快晴。夜明け前からゲート前にはファンのクルマが並び、NISMO社員の不安は一掃された。こうして第1回NISMO FESTIVAL at FISCOは無事、開催された。
日産・NISMOファン感謝のために、NISMO全社員参加による手作りという精神や、初回からのこうした苦労やノウハウも受け継がれながら、この種のモータースポーツイベントとして先鞭ともいえるNISMO FESTIVALは今年25回目が開催された。
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