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神奈川県横浜市鶴見区にあるNISMO事業所。その1階ショールームの隣にある大森ファクトリー店舗では、NISMOパーツのほかファッション&グッズの販売コーナーがある。さらにショールームからは大森ファクトリーの整備工場を見ることが出来る。
そこでは、新旧GT-RのほかフェアレディZなど、多くのユーザー車両がメンテナンスを受けている。
近年では多くの外国人も訪れるようになった。今回は、大森ファクトリーの歴史をたどってみよう。
1984年に東京品川区に創業したNISMOは、その前身組織である日産自動車宣伝3課のビルをそのまま引き継ぎ、1階にはパーツなどを展示するコーナーが設けられていた。1985年2月には本格的にNISMOオリジナルパーツの開発販売を開始、さらに6月にはファッション&グッズの販売を開始し、部用品販売のビジネスも軌道に乗り始めていた。
こうしたことから、1987年5月に1階ショールームの機能を強化し、一般ユーザー向けのショールームとして新装オープン。そして公募により、新ショールームは「NISMO PADDOCK」と命名された。パーツやファッション&グッズの販売も行っていたが、パーツの取り付け機能はまだなかった。
1993年、グループA、グループCという2大レースカテゴリが終了し、モータースポーツ業界、そしてNISMOにとっても大きな転換点の年となった。NISMOではモータースポーツ活動に次ぐ、新たにストリートパーツビジネスへの本格参入の検討をはじめていた。
具体的には、ストリートパーツの本格的な開発・販売。そして、以前から要望の多かった本社ショールームでのパーツ取り付け業務である。
そして同年10月には、一般ユーザーに向けてパーツ取り付け業務をスタートさせた。本社ショールームの「NISMO PADDOCK 大森」内に「NISMO PRO ARM’S」という組織を立ち上げた。これが現在の「大森ファクトリー」の源流となった。「NISMO PRO ARM’S」はグループCやグループAに携わったレースメカニックが直接、オーナー車両にNISMOパーツを取り付けるサービスとして注目を集めた。ただし、当初は自動車整備を行なう認証工場を取得していなかったため、シフトノブやオイルフィラーキャップなどの軽微な作業からはじまった。その後、重整備も可能にするため1階ショールームの作業スペースの認証工場を取得。サスペンション交換やクラッチ交換のほか、エンジンの脱着作業も行えるようになった。
1997年5月、「NISMO PADDOCK 大森」は、「大森ファクトリー」に改称した。名称はいくつか候補があったが、日産自動車宣伝3課時代から、レースファンの間では、「大森チューン」「大森ワークス」と呼ばれたレースカーやレースエンジンが憧れの対象だったことから「大森ファクトリー」に決定、横浜に移転した今もその名称を引き継いでいる。その後、ビジネスの範囲も大きく拡大し、別項で紹介したエンジンチューニングメニューのほか、エンジン、シャシー、ボディにいたるまでのリフレッシュメニュー等、幅広くユーザーのニーズに対応。国内外からNISMOファンの聖地としての地位を確立した。
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