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日産ファンの間で“NISMO”あるいは”ニスモ“として親しまれている『ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社』は、日産の100%子会社として1984年9月に東京・大森の地に創業した。その名のとおり日産のモータースポーツ業務を専門に行なう会社だ。
現在では、モータースポーツだけでなく、日産車のカスタマイズパーツやコンプリートカーの開発・販売、そして各種イベントなども行い、自動車を核に日産ファンの様々なニーズに応えている。2022年4月には、同じく日産の100%子会社の『株式会社オーテックジャパン』と経営統合し、『日産モータースポーツ&カスタマイズ株式会社』のNISMO事業所として新たな一歩を踏み出した。そしてNISMOブランドは今年で40周年を迎える。
1970年にアメリカのマスキー法に端を発した自動車の厳しい排気ガス対策の波は、日本の各自動車メーカーにも押し寄せた。初代スカイライン2000GT-R対マツダ・ロータリーの戦いなどで盛り上がっていた日本のモータースポーツも、各自動車メーカーがモータースポーツよりも排気ガス対策にヒト・モノ・カネを投入する必要性に迫られた。その結果、日本のモータースポーツは急激に低迷期に入ったのである。
1980年代には、各自動車メーカーの排気ガス対策もひと段落し、パフォーマンスの高い国産車も数多く登場するようになった。ちょうどこの頃からターボ車も登場し、ふたたび自動車が楽しい時代になったのだ。さらに1980年代後半あたりからはバブル経済によって戦後の日本経済は絶頂期を迎えようとしていた。当然のことながら、日本のモータースポーツもイベントの量、質も拡大する成長期だった。
かつては、ほかのプロスポーツの様に、モータースポーツも観るものだったが、一般ユーザーが参加するモータースポーツへと大きく変化してきたのもこの時期。数多くのワンメイクレースも開催され、多くのクルマ好きが自分自身もモータースポーツを楽しむ時代へと大きく変化したのだ。
そんな1984年に、日産は国内外のモータースポーツ愛好家の要望に応え、より細かいサービス体制の確立と流通体制の充実をはかるために、モータースポーツ専門会社として、ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社を設立した。
1984年以前は、日産追浜工場にあって各種モータースポーツ車両開発といわゆるワークス活動を行なっていた日産自動車 特殊車両実験課(通称:追浜ワークス)と、日産車でモータースポーツを楽しむ競技ユーザーのためのスポーツパーツの販売やユーザーサポートを行なっていた日産自動車 宣伝三課大森分室(通称:大森ワークス)という、ふたつの組織が日産のモータースポーツ活動を行っていた。NISMOはこれらを統合する形で誕生したのである。
その目的は、
1.国内外のレース・ラリーへの参加
2.プライベートチーム等のバックアップなどの支援
3.レーシングスクールの開催などのユーザーサービス活動
4.スポーツパーツの開発。販売
5.モータースポーツ情報などの提供
と、幅広い分野にわたるものだった。まさに新会社は、ユーザー支援やスポーツパーツの開発・販売を担当していた大森ワークスと、海外ラリー車両や国内レース車両を開発していた追浜ワークスが一体化された内容でスタートしたのだ。
初代社長には難波靖治が就任し、9月17日に設立登記。10月1日より営業を開始した。社是は「強いニスモ、勝つニスモ」。従業員数は51名での船出であった。
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