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1984年9月に創業したNISMO。その主たる業務は「モータースポーツ活動」だったが、一方で日産車ユーザーやファンに対する「部用品の開発・販売」も大きな目標だった。
NISMOの前身組織であった日産自動車宣伝三課時代には、アマチュアのモータースポーツ愛好家に向けた、各種競技用パーツがラインアップされており、NISMOもこれを引き継いでいた。こうした当時のパーツ群の大半は「競技専用部品」であり公道での使用はできないと明記されていた。
創業1年後の1985年6月には、独自のアイデンティティを盛り込んだオリジナルのファッション&グッズを開発し販売を開始した。記念すべき第1弾として、Tシャツ、キャップ(帽子)、パイロットシャツなどを中心とした夏物6種7点をリリース。実際にワークスドライバーがサーキットで着用するファッション&グッズで、モータースポーツにおける実戦経験から得られた機能や素材を吟味、そして最新トレンドを取り入れて生み出されたアイテムだった。NISMOオリジナルファッション&グッズは発売されると、日産を応援するモータースポーツファンはもちろん、日産車をこよなく愛する日産車オーナーたちに人気となった。日産ワークスであるNISMOとの一体感を感じさせてくれることも人気の理由のひとつだろう。また、日産車に乗るユーザーにとっては日産車オーナーであることを主張するツールでもあった。
1980年代後半、グループCやグループAを中心としたモータースポーツ人気の高まりにつれて隆盛を極めていくことになった。他メーカー系も同様なファッション&グッズを展開。自動車メーカー系ではないものの、高級アイテムを各種取り揃えて人気となり、ついには六本木や銀座にブティックを展開するほどのブランドも生まれたほどだった。こうした時代を背景に、NISMOのファッション&グッズも、やがて春夏物、秋冬物と年に2回ほどニューアイテムをリリースするまでに成長していった。
一方、パーツに関しては1985年2月にNISMOとして初のオリジナルパーツの開発・販売を開始した。ただし、長年にわたりNISMOの主力商品となっている強化クラッチや機械式L.S.D.やエンジンパーツなどは、この時点では、まだ競技専用部品という扱いだった。そして1986年11月、WD21型テラノ用ストリート部品の販売を開始。その後、1987年にはストラットタワーバーやステアリング、ショックアブソーバー、B12サニー用エアロパーツなど、ストリートパーツの拡充をはかった。
しかしながら、この時代はまだ公道を走るクルマの改造に関してはセンシティブで、アルミホイールを社外品に替えただけでもディーラーの敷居を跨げないような時代だった。
1988年になるとS13型シルビアがデビュー。翌1989年にはR32型スカイラインと16年ぶりに復活したR32型スカイラインGT-Rが登場した。この頃になると、ストリートパーツも徐々に世の中に受け入れられるようになっていた。スポーツマフラーや車高変化の無い純正形状のサスペンションスプリング(ただし、改造車検の取得が必要だった)などが、アフターパーツメーカーから次々とリリースされた。NISMOも少ないながらもこうしたストリートパーツをリリースし日産車ユーザーの支持を集めるようになっていった。
当時のNISMOはグループCやグループAをはじめ、ラリーやワンメイクレース等のモータースポーツ活動に主軸を置いていたため、競技用部品のラインナップは充実していたものの、現在のようなストリートパーツの開発・販売は小規模なものだった。この間、アフターマーケットの市場では、R32 GT-RやS13シルビアという恰好のチューニング素材を得たことで活況を呈していた。
NISMOのストリートパーツビジネスに転機が訪れたのは1992年頃だった。1992年には創業以来の主軸だったグループCレースが終了。さらに1993年にはグループAレースが終了することが確定しており、国内ラリーからも撤退が決まっていたのである。そこで、モータースポーツのほかに、もうひとつNISMOとしての柱を作るべく様々な検討が行なわれていた。
その結果、
1. ストリートパーツを拡充し第二の柱とする
2. その集大成としてコンプリートカービジネスを模索する
3. NISMO本社でパーツ取り付けサービスを行なう(後に、大森ファクトリーへ繋がった)
という方針が打ち立てられた。
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