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1980年以前、サーキットを舞台とするレースは、本格的にレーシングドライバーを目指すような人向けのモータースポーツというイメージが長く続いた。実際、一般のモータースポーツ愛好家たちは、ナンバー付き車両で楽しめるラリーやダートトライアル、ジムカーナ競技に趣味として参加する人が多かった。
しかし、1980年代に入ると比較的手軽に参加できるワンメイクレースが開催されるようになった。ワンメイクレースとは、文字通り同じ車種によるレースで、車両の改造内容も制限されたレースが多く、比較的安価にレースを楽しめるのが特徴。そのため参加車両の性能差がなく、ドライバーの力量がタイム差となって現れるため、参加者がとても楽しめることから人気となり、徐々にレース開催数も増えていった。
1984年に創業したNISMOは、多様化するユーザーニーズに対応することも大きな使命のひとつとされ、積極的にワンメイクレースを主催していくことになる。そして、早くも創業の年には、日産のエントリーモデルである初代K10型マーチを使ったワンメイクレースをはじめている。バブル景気の時期でもあり、各メーカーが開催するワンメイクレースが盛んになっていった。
とくに日産のワンメイクレースは、K10型のマーチ・レースを皮切りに、ステップアップを目指すユーザーのため、よりパワフルなマシンを使った様々なワンメイクレースが生まれた。さらには、独自に開発したフォーミュラカーのザウルスやザウルスJrを使ったより本格的なレースを目指すユーザーのためのワンメイクレースも開催した。こうした日産のワンメイクレースの参加者の中には、芸能人も多く、さらには後にプロのトップドライバーとなり現在も活躍している人物も多く輩出した。
1984年<マーチ・レース>(K10型)
当時としては、1000ccのリッターカーながら基本性能が高かったK10型マーチのレースは、改造範囲の狭いN1仕様のレースカーでも、十分にモータースポーツの醍醐味が味わえるとして人気が高まり、全国主要サーキットで開催されるなど、拡大していった。1992年にマーチがフルモデルチェンジしK11型となると、マーチ・レースも新旧マーチが混走する形でレースが行われたが、やがてK11型マーチに移行していき長く続いたワンメイクレースとなった。
1987年<マーチ・リトルダイナマイトカップレース>K10型
1987年、画期的なワンメイクレースであるマーチ・リトルダイナマイトカップレースがスタート。このレースは全車レンタル方式で参加者は単身、サーキットに来ればレースに参加できるというものだった。しかも、マシンはターボチャージャーとスーパーチャージャーの2種類の過給機を装着したツインチャージシステムを搭載したパワフルなマシン。モータースポーツ業界にも大きな反響を巻き起こした。ただしレンタル方式だったため、使われ方も荒く、マシンの傷みが酷く、NISMOの担当メカニックが苦労したレースでもあった。ちなみにこの段階では本レース専用だったツインチャージシステムは、後に排気量をダウンサイジングしたK10型マーチRやマーチスーパーターボに搭載され市販された。
1987年<パルサーツインカムレース>N13型
1600ccのN13型パルサーを使ったパルサーツインカムレースもスタート。当時、アマチュアのレース愛好家に人気の高かった富士フレッシュマンレースシリーズの中に組み込まれた。K10型マーチよりもパワフルなN13型パルサーのレースは中級クラスのアマチュアレーサーに人気となった。
1989年<マーチターボレース>K10型
1989年には、K10型マーチターボをベースとしたマーチターボレースが、富士フレッシュマンレースシリーズの中に組み込まれた。マーチ・レースよりもパワーのあるマーチターボレースは、ターボエンジンならではの公平性を保つための工夫がなされていた。NISMOでは、過給圧を均一に保つため専用のバルブを毎戦、くじ引きでレンタルする方式を採用した。また、NISMOで開発した封印された専用ECUもレンタルすることで各車の公平性を保っていた。
2003年<マーチカップ>K12型
2003年からはじまったK12型マーチによるワンメイクレース。当時、ナンバー付きワンメイクレースが注目を浴びる中、マーチカップは本格的なレース仕様のマシンということで注目を集めた。とくにデータロガーを標準装備している点が近代的な試みだった。NISMOと契約したワークスドライバーが走ったデータは参加者に公開され、ドライビングスキルの向上も同時に目指せるという、画期的なワンメイクレースだった。前述の通り、ナンバー付きワンメイクレースが注目を集める時代だったが、ナンバーの無いレース専用車のワンメイクレースにも関わらず、多くの参加者が集まったレースだった。
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