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全日本GT選手権(JGTC)(1999~2003) R34 GT-R、直列6気筒からV型6気筒へ

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 ペンズオイル・ニスモGT-Rがチャンピオンを獲得した翌1999年1月、スカイラインGT-RがBCNR33型からBNR34型にフルモデルチェンジ。基本コンポーネンツはほぼ共通で、ボディがサイズダウンされた。

 これに伴い、JGTCを戦うマシンもR34 GT-Rに変更された。

 ここで、全日本GT選手権レギュレーションの変更と進化の歴史振り返ってみよう。

 1993年、インターサーキットリーグ(ICL)との併催でスタートを切った全日本GT選手権は、フル参戦した車両がわずか2台に留まった。

 1994年にまず手がつけられたのは車両規定で、それまではN3(特殊グランドツーリングカー)規定だったのをGT規定に改めている。N3規定ではベースとなるモノコックを使っていれば自由な改造が許されていたが、これにいくつかの規制を加えることになった。そのひとつがタイヤ幅の制限で、なおかつ性能に応じたクラスに区分した。

 さらに、上位成績のマシンにはウエイトの搭載やリストリクターの径を小さくするといったハンディ制度の導入も特徴のひとつ。そのため、特定のマシンが勝ち続けることが困難で、どのマシンにも優勝のチャンスが与えられることがシリーズとしてうまく機能している。シーズンを通したレースマネジメントもタイトル獲得に向けた重要な要因となっている。

 1998年からは性能調整を実施し、さらにトラクションコントロールなど電子制御ドライバーアシストを禁止した。年々高まるコーナリング速度に対し、規制が始まった。

 1999年にリヤウィングを1枚に規制。

 2000年にはハイテク装置を一切禁止し、ベース車両に装備されていれば使用できたABSに関しても禁止とされた。

 2003年は、シリーズ史上もっとも大きなレギュレーションの変更が行われた。室内のバルクヘッド前後をパイプフレーム化することが許され、サスペンション形状も大幅に変更できるようになった。併せてトランスアクスル化も可能となっている。また、フラットボトム化も義務づけとなった。

 1999年から2003年まで投入されたR34 GT-RによるGTマシンは、上記のレギュレーション変更の波を受けながら進化を続けたレースカーだった。同時に、スカイラインGT-R=直列6気筒エンジンという呪縛から解放されたマシンでもあった。

 1999年のマシンは、前年のチャンピオンカーである98仕様のR33 GT-Rからのパッケージを踏襲した。ただし、レギュレーションの変更により98仕様の特徴だったリアスポイラーやフロントフェンダーの形状が見直され、一般的な形状になったものの、空力性能は向上。いわゆる正常進化というような内容だった。1999年シーズンは、NISMOのペンズオイル・ニスモGT-Rが1勝を挙げ、常に上位入賞したことから、E・コマスが2年連続ドライバーズタイトルを獲得した。とはいえ、スープラやNSXといったライバルの台頭が目覚ましいシーズンでもあった。

 2000年、2001年とR34 GT-Rのパッケージングは変わらず正常進化を続けた。鋳鉄ブロックの直列6気筒エンジンであるRB26DETTは全長も長く重い。既にこの頃のGTマシンは、エンジン出力がリストリクターなどで制限されているため、コーナリングスピードを稼ぐ方向で、重量配分や空力性能を追求する時代になっていた。ライバルのスープラは既に直列4気筒ターボエンジンに換装、NSXもV6エンジンをミッドシップに搭載し、パッケージングの面ではR34 GT-Rよりも有利な状態だった。2000年シーズン、R34 GT-Rは2勝を挙げたがタイトルには手が届かなかった。続く2001年、第4戦富士で1-2フィニッシュを飾り、その他のレースでもコンスタントに上位入賞しポイント稼いだNISMOがチームタイトルを獲得した。

 

 2002年1月、R34 GT-Rの生産が同年8月に終了することが発表された。これを受けて、JGTCに参戦するR34 GT-RのGT仕様にも大きな動きがあった。ついにV6エンジン搭載への動きだ。3ℓのVQ30DE型エンジンをベースにツインターボ化したレース専用のVQ30DETTである。

 2002年5月に行われた第3戦・スポーツランドSUGOでついにV6を搭載した#22「ザナヴィ ニスモGT-R」が登場。さらに、7月に富士スピードウェイで開催された第5戦から、NISMOチーム2台とチームインパル(カルソニック)のGT-R全車がV6エンジン搭載車に移行したのだ。RB26DETT時代、フロントヘビーだったR34 GT-Rの前後重量バランスを改善するため、ラジエターをフロントからトランク部分への移設も施されていた。しかしながらV6ツインターボエンジンにスイッチした成果は上げられなかった。2002年シーズンは1勝も出来ず、不遇のシーズンとなった。

 2003年シーズン。前述のレギュレーションの大幅変更により、シャシーはベースモデルのモノコックのコクピット部分を使用していれば、前後部分を切り取りパイプフレーム化することが可能になった(前部クラッシュボックスを義務化し、安全を保証)。それまでは、オリジナルのモノコックを残しておく必要があり、エンジンルームのレイアウトや設計に制約があった。さらに、トランスミッションの搭載位置も自由に選べることになり、R34 GT-Rもトランスアクスル化を実施した。一方で、トランク部分に移設されたラジエターはフロント部に戻された。

 ボディは、市販車のイメージをそのままに、前面投影面積が大きく、空気抵抗も多いというR34 GT-Rが本来持つハンディを解消すべく空力を大きく見直し、さらに、車高を低く抑えながらも、大径タイヤを収められるようエンジンフードやフェンダーの形状が決められ、これまでにないほど、戦闘的なスタイルのGTマシンに変化した。

 2003年シーズンは、デビュー2戦目に#22モチュールピットワークGT-Rが優勝。#12カルソニックスカイラインも、2勝をマークした。シリーズタイトルは、優勝こそないものの8戦中7戦で入賞した#23ザナヴィニスモGT-Rの本山哲/ミハエル・クルム組がドライバーズチャンピオンを獲得。NISMOもチームチャンピオンを獲得し、R34 GT-Rのラストイヤーをダブルタイトルで飾った。

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