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1995年1月、スカイラインGT-RはBNR32型からBCNR33型にフルモデルチェンジした。RB26DETT+アテーサE-TSというコンポーネンツは変わらず、4輪マルチリンクサスペンションもアップデートして踏襲された。
GT-Rを名乗るからにはレースフィールドでの活躍が宿命のようなもの。R32 GT-Rは開発時からグループA制覇を使命としていた。しかし、R33 GT-Rがデビューした時には、すでにグループAレースは終了し、全日本GT選手権シリーズ(JGTC)の時代。当然、R33 GT-Rの主戦場となるレースはJGTCだった。
R32 GT-RのGT仕様は、グループA仕様をベースに改造されていたが、R33 GT-RのGT仕様は当初から本格的なGTマシンとして開発された。
サスペンションに関しては、R32 GT-RのGT仕様では基本的にグループAのものを使っていた。つまり基本レイアウトは生産車と同じだったのである。一方、R33 GT-RのGT仕様では、ダブルウィッシュボーンに変更された。GT仕様の大きなタイヤを履き車高を極限まで低くするため、上下のアームの取り付け点がホイール内に収まるようにダブルウィッシュボーンに変更されたのだ。
さらに、グループAよりも幅広で大きなタイヤを装着するため、とくにフロントタイヤハウスは大幅に修正され、インナーフェンダーは生産仕様とは異なるものがモノコックに溶接された。シャシーに関しては、R32 GT-RのGT仕様よりは、確実にGTマシンとして進化したものとなった。
エンジンは、引き続きRB26DETTを採用。既に熟成の域に達しているエンジンだが、エアリストリクターに対応する改良が加えられた。一方、体制面では、エンジンの開発・製作は、オーテックジャパンが担当し、それまでの日産工機は、ル・マン24時間レース用エンジンの開発をまかされることになった。
R33 GT-RのGTマシンは1995年4月の全日本GT選手権の開幕戦でデビュー。舞台は鈴鹿サーキットだ。ただし、この時はNISMOから参戦したJOMO BCNR33の1台のみで、予選では2位、決勝も2位でフィニッシュ。優勝は、R32 GT-Rの94年仕様であるカルソニック スカイラインだった。
5月の第2戦・富士から、カルソニックとユニシアジェックスもニューマシンにスイッチし、3台のR33 GT-Rが揃った。
デビューイヤーとなった1995年シーズンは、第4戦・富士で、1-2-3フィニッシュを飾り表彰台を独占したほか、全戦で表彰台に上がる大活躍を見せた。結局、カルソニックスカイラインを駆る影山正彦が2年連続のドライバーチャンピオンに輝いた。
翌1996年のJGTCに、とてつもないライバルが現れた。2台のマクラーレンF1 GTRである。カーボンモノコックを持つこのスーパーカーは、全戦でポールポジションを獲得、4勝をマークしてあっさりとチャンピオンを獲得した。R33 GT-Rは第4戦・富士でカルソニックスカイラインが優勝したが、チャンピオン争いからは遠のいた。
1997年、圧倒的に有利だったマクラーレンF1 GTRは参戦しなかった。各チーム、戦闘力の強化をはかって臨んだシーズン。R33 GT-Rは、RB26DETT型をドライサンプ化しオイルパンを撤去。エンジン搭載位置を低く、さらにエンジンルーム後方に搭載し、低重心化とマスの集中をはかった。しかし、ライバルも戦闘力を大幅に強化し、R33 GT-Rが優勝できたのは開幕戦の鈴鹿のみだった。
1998年、NISMOはR33 GT-Rの大幅な仕様変更を行なった。エンジン搭載位置もさらに低くマウント。ドライバーシートも後方に移動しシャシーバランスを向上させた。
さらにボディの形状も大きく変更。空気抵抗を減らすためフロントフェンダーのホイールアーチ後方を削除し、ホイールハウス内の空気の排出をスムーズなデザインを採用。リアスポイラーも大型で複雑な形状のデザインを取り入れ、空力性能も大幅に改良された。
RB26DETT型も2.7ℓに排気量アップ。500ps以上のパワーと72kgm以上のトルクを発揮。とくに、立ち上がり加速に効く中低速のトルクが強化された。
この結果、ペンズオイル・ニスモGT-Rのエリック・コマス/影山正美組がドライバーチャンピオンを、そしてNISMOもチームチャンピオンのダブルタイトルを獲得した。
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