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新たなレース全日本GT選手権(JGTC)開幕(1994) 黎明期のGTカーレースにR32 GT-R参戦

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 日本国内で1990年代の初めに隆盛を誇ったグループAとグループCのレースが終了。全日本ツーリングカー選手権が1994年からスタートする一方で、イタリアでフェラーリF40、ジャガーXJ220、など、スーパーカーによるレースとして人気が高まりつつあった「イタリア・スーパーカーGT選手権」を参考に、日本でもGTレースを開催することが検討されていた。様々な検討がなされた末、1993年には、N-GT規定による全日本GT選手権(JGTC)がスタートした。ただし、1993年のシリーズは、レース数が全3戦で、参加台数も少なかったことから、現在ではシリーズの正式スタートは1994年からとされている。

 N-GT規定では、2ドアの4人乗り以下のクルマをベースとし、FIAまたはJAFに公認もしくは登録された車両と、JAFが特別に認めたクルマでも参加が可能で、広く扉は開けられていた。その改造規定も、サスペンションは基本的な形式を守れば、その取り付け位置も一定の範囲で変更が可能だった。さらにエンジンは同一メーカーのものであれば換装が認められ、排気量の増減、過給器の脱着も自由。搭載位置もエンジンルーム内なら自由。ただし、エンジンの向きは変えられなかった。エンジンのチューニングについては、N-GTではクループAよりも広範囲に認められていた。しかし、吸入空気量を制限するエアリストリクターの取り付けを義務付けていた。GT1クラス(現在のGT500に相当)のツインターボエンジンには口径31mmのエアリストリクター、シングルターボでは口径44mm、NAエンジンでもレシプロが口径46mm、ロータリーは47mmのエアリストリクターをそれぞれ取り付けることが義務付けられていた。

 またトランスミッションについては6速まで認められ、純粋なレーシング・トランスミッションやシーケンシャルタイプの搭載も可能だった。

 ボディについても、N-GTは片側50mm拡幅するオーバーフェンダーの装着が可能。後に「GTウイング」と呼ばれる大型リアスポイラーの装着も可能で、フロントスポイラーやサイドステップの取り付けも可能。その上、GT1クラスのタイヤはグループAよりも大きくワイドなタイヤが認められていたのだ。

 ただし、最低重量の規制はあった。GT1クラスの最低車両重量は1200kg。バンパー、前後フェンダー、ボンネット、トランクリッド、ドアはCFRPなど軽量素材への変更が可能で、グルーブAより軽くすることができた。ただし、駆動方式を4WDにすると+40kgの1240kgが最低車両重量で、いわゆるハンディが課せられていた。

 NISMOのマシンはグループA仕様をベースにしたR32スカイラインGT-RをGT1クラスに、新たに開発したS13シルビアをGT2クラスにエントリーさせた。GT仕様のGT-RのエンジンはもちろんRB26DETTでツインターボ。ただし、エアリストリクターの装着により、グループA時代の600psに対しN-GTでは450ps程度だが、最大トルクは上回っていた。その外観は、GT-Rのシルエットを残しつつ拡幅されたブリスターフェンダー、大胆な形状のフロントバンパーと大型のリアスポイラー、そしてサイドステップを装着したものだった。

 1993年のJGTCは富士スピードウェイを舞台に3戦ほど開催された。この年はまだ、グループAレースが開催されていたこともあり、この新しいレースに参戦できるチームが少なかった。開幕戦は、「IMSA GTチャレンジ」。参加したN-GTマシンは、NISMOが製作したR32型スカイラインGT-RとS13型シルビアの2台のみだった。ほかには、アメリカから呼んだIMSAマシンとJSSマシンで、ようやくレースは成立した。その後の2戦でも、N-GTマシンはNISMO の2台のみで、あとはJSSマシンという状態だったが、カルソニックスカイラインに乗る影山正彦がチャンピオンに輝いた。

 1994年、JGTCとして本格的に稼働したシリーズにはフェラーリF40、ランボルギーニ・カウンタック、ポルシェ911RSRといったスーパーカーが参戦。さらに、GT仕様に改造されたグループCカーのポルシェ962Cまで姿を現した。また、グループBラリーカーであるWRCマシン「ランチア・ラリー037」のスポット参戦も話題になった。

 日産系チームは、R32 GT-Rをベースにした4台のN-GTマシンを投入。#1カルソニックスカイラインと#24コクピット館林GT-Rは4WDを選択。一方、NISMOの#2 ZEXELスカイラインとハセミモータースポーツの#3ユニシアジェックススカイラインはFR化され、トランスミッションがXトラック製の6速シーケンシャルに変更された。そして、ボディ形状も大きく変更された。

 FR化の理由は、エアリストリクターでエンジンパワーが制限される一方、空力デバイスや太いタイヤが使える上に最低車両重量がグループAよりも軽く、4WDを採用するメリットは少なかったことによる。

 さらに、NISMOから参加したジョンソンスカイラインは、リストリクター取り付けが免除されるN1仕様エンジンを搭載した4WDでN1仕様と同じ450psを発揮していた。デビュー戦はウイングのないN1仕様に近い外観だったが、途中からオーバーフェンダー付きの専用エアロパーツに変更され、GTカーらしくなった。

 全5戦で争われた1994年シーズンも、カルソニックスカイラインの影山正彦がチャンピオンを獲得した。

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