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1994年は、NISMO創立10周年にあたる記念すべき節目の年。しかし、モータースポーツの領域では、創業以来のメインのカテゴリーであったグループCレースとグループAレースが前年に終了。また、国内ラリーなどのダート系競技からも撤退した時期だった。その一方、GTカーとニューツーリングカーという新しいカテゴリーのレースがスタートする大きな節目の年でもあった。
またNISMOにとっても1984年の創業以来、陣頭指揮をとってきた初代社長の難波靖治が7月に退任し、新たに安達二郎が社長に就任して社内体制も大きく変わったのである。そしてモータースポーツ活動に次ぐ、新しいビジネス構築の模索も始まっていた。
NISMOがモータースポーツ活動に専念している間、世間ではR32 GT-RやS13シルビアなど、格好のストリートチューニング素材を得て活況を呈していた。
NISMOも本格的にストリートパーツビジネスに参入しはじめた時期でもあった。そして同時に、コンプリートカービジネスへの参入も議論がなされていた。
海外の著名なワークスチームはコンプリートカービジネスも手掛けていたこともあり、当時社長の難波靖治は、モータースポーツのノウハウを活かしたNISMOコンプリートカーの企画、開発を社内に命じた。そこで、NISMOとしてははじめてのストリート向けコンプリートカーを、会社創立10周年に合わせ「10周年記念車」として企画をスタートした。
その「10周年記念車」プロジェクトは1993年にスタート。開発メンバーには既に撤退していたラリー部隊が選ばれた。
まずベース車を何にするか、社内アンケートで公募した。R32型スカイラインGT-R、S14型シルビア、K11型マーチ、Z32型フェアレディZなどがあったが、やはり人気はR32 GT-Rであった。
しかし、難波社長が、かつて国際ラリーで日産の主力車種だったフェアレディZやシルビアに強いこだわりを持っていたため、その2車種で検討を進め、最終的にはチューニング範囲が広くとれるS14型シルビアをベースにすることが決定された。
目標馬力は、当時の280ps自主規制以下の270psにすえられ、車名もかつて日産のグループBカーとして国際ラリーで活躍したS110型シルビアベースの240RSにちなみ、“270R”とされた。
約1年にわたる開発期間を経て1994年に発売。270Rの価格はR32 GT-Rに匹敵する450万円。販売台数は30台限定。ボディカラーはブラックのみ。エンジンはもちろん、駆動系やブレーキ、シャシー、内外装まで細かく手を入れたコンプリートカーだった。
購入申し込み期間は、NISMO創立記念日の9月17日から10月20日まで。応募多数のため抽選となり30名のオーナーが選ばれた。
車両の製作は、一部部品を日産の工場で架装し、仕上げをオーテックジャパン(当時)で行なっていた。
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