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モータースポーツ

2016.05.04

岡山ラウンド

僕は金曜日岡山入りをするとき、実は結構ナーバスだった。それは予選や決勝のパフォーマンスの心配や、ドライバーやチームとして良い結果を出さなくてはいけないというプレッシャーが理由ではなく、SUPER GTに来ているのに「まったく運転しない」ということが初めてだったからだ。

僕の新しい役割はNISMOアンバサダーとしてGT500とGT300の全ての日産のレースカーを見ること。それ以外にも、僕はトークショーをしてレーシングドライバーの視点でNISMOのサポーターやスポンサーの方々と触れ合ったりした。長い話を掻い摘んで話すと・・・僕はこの新しい役割をこれだけ楽しんでいる自分自身にびっくりした。一つの理由としては、僕は本当にレースや激しい競争が大好きで、それはドライバーとはまた違った立場でピットでモニターを見ていたとしても、何も変わらなかった。

チームのみんなが僕をチームの一員として対応してくれたし、ほとんどが長い間日産車で好成績をあげるために一緒に戦ってきた仲間だったので、とてもエキサイティングだった。

週末の最初の大きな出来事は、Q1で千代がミシュランを装着した46号車で1位通過したことだった。彼の役割はマシンをトップ8以内に持って行き本山につなげば充分頑張ったことになるのに、彼は一番上を取りに行くことで彼自身が十分にその地位にいることに値するということを周囲に示した。

チームメイトがポールポジションに届くパフォーマンスを見せたことで、Q2で本山がどれだけ難しく感じてしまうのだろうかと同じドライバーとして思ったが、その状況の中でいつも通り、いやむしろ素晴らしいパフォーマンスが出来ないとしたら、それは本山ではない。彼はやはり素晴らしいタイムを叩き出した。ただ残念ながら他のマシンの方がQ1より少しだけ速くなってしまい、P4という結果。レースでは常にコンディションが変わってしまうけれど、ドライバーはふたりとも大きなプレッシャー下で素晴らしい仕事をしたと思うし、それは外から見ていた僕にとってはとても印象深く、僕がその大きなプレッシャーの中にいないことをある意味幸せだと思った。予選はドライバーにとっては残酷だ。たった一周、一発のチャンスの中、全く小さなミスさえも許されないのだ。

レースそのものはどんな時もスペシャルだけど、開幕は特に誰もがどうにかしてよい結果を、むしろ一番のターゲットである勝利を手にしたいと思っている。シーズンは長いし、最初のレースはその後に続くシーズンの自信を築いてくれる。アクシデントのない静かな今回のオープニングラップがそれを証明していると思うし、事実、黄旗の出ないレースとなった。僕はこんなレースを今までの経験の中で思い出せない!もしかしたら、それはつまらないと言う人がいるかもしれない。でも実際はつまらないレースとはかけ離れていた。

レースで、トップ集団の中でも明らかに一番速かった1号車のロニーが走っているときは、彼はレクサス勢を追い詰めるのにとても忙しかったし、12号車の安田は後ろから大きなプレッシャーを受けながら走っていた。ドライバーとしてはただ前に行くことやポジションを上げることだけに集中したいのだけれども、残念ながらいつもそういうわけにはいかず、時には自分を追い詰めようとする敵から自分を守らなくてはいけない。それは本当にフラストレーションのたまることだ。後ろから来るマシンを突然ブロックしなくてはいけないし、それは走行ラインを外さなくてはいけないということで、さらにラップタイムが落ちてしまう。みんな追いつこうとしているし、トラフィックをつくってしまうことになる。後方のマシンを押さえきるのはとても重要なことで、レースを左右すると言っても過言ではない。一台に追い越されてしまったら、瞬く間にまるで列車のように何台にも一度に抜かされてしまったりする。それでもそんな中、安田はとても落ち着いていたし、見事後ろのマシンを押さえきった。だから結果的には残念ながら表彰台には届かなったマシンだけれども、5位でフィニッシュさせることができたと思う。

ロニーはレースをリードしてNISMOピットに戻ってきたが、37号車トムスとはまだほんの少しの差だった。メカニックは緊張感で張りつめていた。今まで僕は自分がドライブしていたときはドライバーチェンジに忙しかったので、生で、目の前でピット作業の全てを見たことはなかった。でもそのとき僕はその張りつめた空気や、速くスムーズで失敗のないピット作業をするメカニックのプレッシャーを感じることができた。そして彼らも自分たちの仕事がレースを決めるということをよく知っていた。松田次生がピットアウト後トップに立ち、息をつく暇があるかどうか、いや、トップに立てるかどうかもメカニックにかかっていた。僕は驚愕の思いで彼らの手や体の動きを見ていた。もちろん彼らがNISMOのファクトリーでも懸命にピット作業の練習をしていることは知っていたけれども、実際に彼らがピット作業をしている姿を見ると、それはとても正確で素晴らしいものだった。無駄な動きは1つたりともなかったし、あっという間に松田はまずまずのリードの中ピットを後にした。ニスモのピットクルーはその瞬間レースに勝っていたし、ドライバーの仕事をものすごく楽にした。松田はアウトラップの1コーナーから守りに入るかわりに、自分ペースでタイヤを温めることができた。

でも、松田もかなり大変な仕事をしたと思う。トップを走っていたマシンを引き継ぐということは、これ以上順位は上がらないが、安全に、でも限界の中全力で走らなくてはいけないということを意味する。トップを走っている彼にとっては、失うものは多いが、それ以上に得るものはない。40周も!ドライバーとしては心地良いポジションとは言えない。でも彼はチャンピオンとしてやるべきことをした。松田は自分が実際にリードしているということを考える代わりに、自分のドライビングだけに集中し、より大きなギャップを作ることだけを考えていたと思う。完璧な勝利はNISMOチームの全てによってもたらされたものだ。

戦いはこれだけではなかった。千代は2位の37号車トムスの平川を追い続けていたが、平川のタイヤグリップが落ち始めた。残り10周というところで千代は37号車の真後ろに付き、大きなバトルとなった。千代は完全に安全な運転をしていたし、考えなしの動きもしなかったし不必要なリスクも決して冒さなかった。常にひどいトラフィックで大きなバトルが繰り返される中、彼は初めてのGT500のレースで素晴らしいパフォーマンスをしたと思うし、彼が世界で戦ってきた経験を僕たちに見せた。だから僕たちは日産のワン・ツーフィニッシュを期待せずにはいられなかった。しかし平川は僕らとは異なる考えで、2位をキープしよう必死だった。彼が見せたレースの技量は僕たちが今まで見てきた中でもトップクラスと言える。彼は完璧に先のトラフィックを読み、絶妙な場所で何度も千代をスローダウンさせて、先にチェッカーを受けた。そのドライブは賞賛に値する。彼はタイヤメーカーの戦争の中でも、ドライバーの腕でドライバーがレースを魅せてくれるということを再度証明してくれた。そして千代と平川が常にフェアでスポーツマンシップにのっとりながら、こんなに高いレベルで戦う姿を見ることができてうれしく思う。

レース以外でも、僕は新しい役割の中多くのことを学ぶことができた。同じイベントで柿元さんと一緒に働く機会もあった。僕は柿元さんを監督として1998年から知っているにも関わらず、彼のレースに関する深い知識に再度びっくりさせられた。たとえば柿元さんがピットツアーでGT500のGT-Rの説明をしているとき、僕が出来たことと言えば僕が今まで聞いたこともないことも学びながら、口を開けて彼の話を聞くことくらいだった。日産にとって柿元さんは本当のレジェンドだし、アンバサダーとして一緒に働く機会をもらえるということは幸せだ。

次の素晴らしいレースの週末と、みんなとの再会を心待ちにしている。

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