Racing GT-R HISTORY ~写真で振り返る、熱きDNAの系譜~

Vol.7

海外で活躍したグループA

~伝統のスパ24時間レースへの挑戦~

国内では無敵の29連勝を誇ったグループA仕様のスカイラインGT-R。レースカーのベースとなっているBNR32型スカイラインGT-Rは日本国内でのみ販売されたモデルで、正式に輸出はされていなかったが、海外のレースでもその強さを見せつけた。最終回はニスモが参戦したスパ24時間レースを中心に海外で活躍したGT-Rを紹介したい。

毎年夏にベルギーのスパ・フランコルシャンサーキットで開催される24時間レースは、ツーリングカーの祭典として有名なイベントだ。1990年当時、フランスのル・マン24時間レース、アメリカのデイトナ24時間レースと並び、スパは世界3大24時間レースのひとつだった。

ニスモがスパ24時間レースにスカイラインGT-Rで参戦することを決めたのは1989年の秋。翌1990年から3年計画での挑戦だった。初年度は改造範囲の狭いグループN仕様で参戦し、様々なデータや現地情報を取得する。そして2年目以降にグループA仕様で総合優勝を狙うというものだった。

当時のスパ・フランコルシャンサーキットは、ル・マン24時間レースで使われるサルトサーキットと同じように、一部に公道を含むサーキットだったため、イベント時以外はレースカーで走行することができなかった。このため、90年の参戦は、翌年からの本格的な参戦に向け、縁石の高さなどのコース状況に加え、ピットの電源仕様や周辺の食事状況、車検状況などの調査も兼ねていた。

この年は、ニスモからの2台のほか、英国のヤンスピードからの1台、合計3台のスカイラインGT-RグループN仕様がエントリーした。結果はグループNクラス1位から3位まで独占だった。

この初挑戦で様々な情報を得たニスモは、翌91年、グループAクラス挑戦に向けた本格的な準備に入った。スパ専用のテストカーを製作し3月には富士スピードウェイでシェイクダウンを行なう。そして5月には10日間にわたるロングランテストをスポーツランド菅生で行なっていた。この時の走行距離は約4300㎞にもおよんだ。各部品の耐久試験はもちろんのこと、メカニックのピットワーク訓練や夜間走行装備の確認と夜間作業の訓練なども行なった。

こうして準備を整えたチームは91年8月、スパ・フランコルシャンに乗り込んだ。もっともライバル視されたBMWワークスのシュニッツァーチームのM3はドイツ国内選手権と日程が重なり参加しなかった。結果は、スカイラインGT-Rのポールtoフィニッシュで、グループA仕様での初参戦ながら総合優勝を遂げた。しかも2位以下に21周の大差をつけた勝利だった。またグループNクラスでもスカイラインGT-Rが2連覇を決めた年でもあった。

しかし、翌1992年は、前年のレースであまりにも速かったスカイラインGT-Rに90㎏のウエイトハンディが課せられた。このため、エンジンの仕様が見直され各部が強化された。さらに燃費向上のためのセッティングが施された。また気筒毎に最適な点火時期の設定が行なえる気筒別点火時期制御という当時最先端の技術も投入されたのだ。

こうして迎えた92年のスパ24時間レース。ライバルのBMW・M3も戦闘力を向上させ、迎撃態勢を整えてきた。予選では重量増によりタイムが伸び悩むGT-Rに対し、M3軍団が速さを見せ、GT-Rは予選6番手に甘んじる結果となってしまった。決勝スタートでは5台のM3がGT-Rの行く手を阻むことになる。

しかし、幸運なことにこの年のスパ24時間レースは、それまでのローリングスタートからスタンディングスタートにルールが変更されていた。ゼロスタートなら4WDのGT-Rにも勝機が残されていたのだ。

そしてスタートドライバーのアンデルス・オロフソンは、その優位性を活かし一気に3台のM3を抜き、3番手でオー・ルージュを駆け上っていった。さらに2台のM3を抜き去りトップでホームストレートに帰ってきたのだ。その後も90㎏のハンディをものともせず、後続を引き離しかかった。ところが、午後8時過ぎ、ルーティンのピット作業中に漏れたガソリンに引火。GT-Rはたちまち炎に包まれ、3年目のレースは終了してしまった。

最終年となる92年はこのように残念な結果に終わったが、3年にわたるスパ24時間レースへの挑戦を通じて、本場ヨーロッパのレースファンにもスカイラインGT-Rの圧倒的な速さを印象付けたことは間違いがない。現に現在のスパ24時間レースでもNISSAN GT-Rの人気は高い。

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BNR32 スカイラインGT-Rの海外での活躍

国名イベント名称チームクラスドライバー戦績
1990
英国British Saloon Car ChampionshipJanspeed TeamBNR32Gr.NK.Odorチャンピオン
オーストラリアAustralian Touring Car ChampionshipNissan MotorsportBNR32Gr.AJ.Richards最終戦1勝
Bathurst 1000Nissan MotorsportBNR32Gr.AJ.Richards/M.Skaife総合18位
ニュージーランドNissan Mobile500 WellingtonNissan MotorsportBNR32Gr.AJ.Richards/M.Skaifeリタイヤ
マカオマカオグランプリ ギアレースHasemi MotorsportBNR32Gr.A長谷見昌弘総合優勝
フランスWRC ツール・ド・コルスBNR32Gr.N西山寛
1991
英国British Saloon Car ChampionshipTeam MiddlehurstBNR32Gr.NA.Middlehurstチャンピオン
オーストラリアAustralian Touring Car ChampionshipNissan MotorsportBNR32Gr.AJ.Richardsチャンピオン
Nissan MotorsportBNR32Gr.AM.Skaife
Bathurst 1000Nissan MotorsportBNR32Gr.AJ.Richards/M.Skaife総合優勝
ニュージーランドNissan Mobile500 WellingtonNissan MotorsportBNR32Gr.AJ.Richards/M.Skaife総合3位
マカオマカオグランプリ ギアレースHasemi MotorsportBNR32Gr.A長谷見昌弘総合4位
1992
オーストラリアAustralian Touring Car ChampionshipWinfield NissanRacingBNR32Gr.AJ.Richardsチャンピオン
Winfield NissanRacingBNR32Gr.AM.Skaife
Bathurst 1000Winfield NissanRacingBNR32Gr.AJ.Richards/M.Skaife総合優勝
スペインSpanish Touring Car ChampionshipNissan MotorsportBNR32Gr.NL.P.Sala
マカオマカオグランプリ ギアレースHasemi MotorsportBNR32Gr.A長谷見昌弘リタイヤ
アメリカパイクスピークスヒルクライムBNR32OPEN亀山晃
1993
スペインSpanish Touring Car ChampionshipNissan MotorsportBNR32Gr.NL.P.Salaチャンピオン
アメリカパイクスピークスヒルクライムBNR32OPEN亀山晃クラス優勝(コースレコード)
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