Racing GT-R HISTORY ~写真で振り返る、熱きDNAの系譜~

Vol.5

グループA神話 I

~GT-R復活までの道程~

熱狂的な人気のスーパーシルエットカーは1984年を最後にサーキットから姿を消すが、翌1985年からスタートしたFIAのグループA車両規定による全日本ツーリングカー選手権にDR30型スカイラインRSターボが参戦。さらに1987年にはHR31型スカイラインGTS-Rが登場。GT-Rエンブレム復活への序章がはじまる。

1985年にスタートした全日本ツーリングカー選手権(JTC)シリーズは、ツーリングカーでは日本最高峰に位置するレースだった。この当時、グループA仕様のマシンによるレースへの移行は世界的な潮流だった。

グループAマシンは、市販車をベースにした改造範囲が狭いものだった。エンジンについては排気量やターボチャージャーの変更、専用のエキゾーストマニホールドなどへの交換はできない。シャシー面でも市販車のサスペンション形式の変更などの大幅な改造は許されなかった。スプリングやショックアブソーバーの交換、サスペンションリンクを強化品への変更は許されたが、リンク類の取り付け点については市販車と同じでなければならなかった。

すなわち、市販車のポテンシャルが大きく影響するレースだったのである。そのため、海外の自動車メーカーはレースで有利になるスペックをあらかじめ市販車に盛り込んだホモロゲーションモデルを投入するなど積極的だった。日産も後にホモロゲーションモデルを投入するが、1985年当時はまだ通常モデルのDR30型スカイラインRSターボでの参戦だった。

市販車のスカイラインRSターボに搭載されたFJ20E・T型エンジンは、1970年代後半におもに海外ラリーで高い実績を作ったモータースポーツ専用のLZ18型エンジンのスペックがベースとなっている。LZ18のボア×ストロークはφ89×80㎜でFJ20と同じスペック。ちなみにスーパーシルエット時代のLZ20Bターボはφ87.8×86㎜でまったく異なるスペックだった。

グループA仕様による新シリーズには、すでに欧州ツーリングカー選手権で活躍していたトヨタのAE86カローラレビンのほか、BMW635CSiなどが参加し、グループAとしてはルーキーのDR30型スカイラインRSターボに対しアドバンテージを保っていた。初年度のシリーズチャンピオンはBMW635CSiにさらわれた。

この年の注目は、最終戦となった富士スピードウェイでのインターTEC。この1戦は国際格式のため、欧州ツーリングカー選手権(ETC)の覇者・ボルボ240ターボが来日、コーナーのアウト側から国産車を抜いていく圧倒的な強さで1-2フィニッシュを飾った。欧州車との実力差をまざまざと見せつけられ、悔しい思いをした日本のレースファンも多かったことだろう。

一方、スカイラインは同年8月にR31型へフルモデルチェンジしていた。しかし、新型スカイラインは、当時のハイソカーブームの影響で高級路線となっていたため、レースフィールドでは旧型のDR30型スカイラインRSターボでの参戦を継続していたのだ。

翌1986年シーズンは、レースカーとして熟成されてきたDR30型スカイラインRSターボに乗る鈴木亜久里が念願のシリーズチャンピオンを獲得した。しかし、注目の1戦となるインターTECでは、またもボルボ240ターボに実力の差を見せつけられることになった。

1987年8月、日産はR31型スカイラインにグループAレースのホモロゲーションモデルとなるGTS-Rを800台限定で発売した。GTS-Rのエンジンは直列6気筒4バルブDOHCターボのRB20DETを専用チューンしたRB20DET-Rで、専用ターボチャージャーを採用し、さらにレースパーツのような鋼管製タコ足エキゾーストマニホールドまで備えていた。

最高出力は190ps(ネット値)から210ps(ネット値)へと引き上げられ、レース仕様では400psを得られるようなスペックを盛り込んでいた。さらにエクステリアでも専用の固定式のフロントスポイラーと、当時の感覚ではかなり大型なリヤスポイラーを標準装着し、実戦でも使用可能にしていた。

HR31型スカイラインGTS-Rのレースデビューは1987年11月のインターTEC。しかし、この年のインターTECは世界選手権がかけられ、欧州からやってきたワークスのフォード・シエラRS500の圧勝で終わり、シリーズチャンピオンもシエラが獲得した。

翌1988年は、HR31型スカイラインGTS-Rが2勝をあげたが、またもやシリーズタイトルはフォード・シエラRS500に。注目のインターTECもシエラの2連覇に終わった。

そして1989年、HR31型スカイラインGTS-Rは名手・長谷見昌弘のドライブで念願のシリーズタイトルを獲得した。しかし、注目のインターTECではまたしてもシエラRS500が3連覇を果たし、その牙城を突き崩すことは叶わなかった。

この頃になると、日産でもインターTEC制覇が大きな目標に設定されるようになった。なにしろ、1985年の全日本ツーリンガー選手権がスタートして以来、インターTECは日本車が一度も勝てず、欧州車の優勝が続いていたのだ。

やがて、その使命は、1973年に生産終了したKPGC110型スカイライン2000GT-R以来16年ぶりに復活するBNR32型スカイラインGT-Rに託されることになる。

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