12月11日(日)に富士スピードウェイで開催される「NISMO FESTIVAL 2016 supported by MOTUL」でメインMCを務めさせて頂くことになりましたレースアナウンサーの辻野ヒロシです。1回目のコラムでは大好きなグループCカーについて熱く語りすぎてしまいましたね。だって好きなんですもん。
さて、2回目のコラムはグループCカーでも戦ったル・マン24時間レースにまつわるお話です。日産のグループCカーがポールポジションを獲得するなど、1980年代から90年代は日本車が大活躍しました。この時代はそんなニュースがテレビや雑誌、新聞で頻繁に伝えられ、若者がそのメーカーの高性能なスポーツカーに憧れる、という時代でした。1990年代に新時代のグループCカーで優勝を狙っていた日産・ニスモ陣営でしたが、その後モンスターマシン グループCカーの時代は終わりを告げます。危機的状況の中、ル・マン24時間レースは市販車をベースにしたGTカーのレースへと舵を切ります。
日産は年に1度のル・マン優勝を目指し、GT1クラスにR33型スカイラインGT-Rをベースにした「NISMO GT-R LM」を1995年に投入して戦いました。世界への挑戦を諦めずに続けたのです。そして、1996年NISMO GT-R LMの活躍をフランス、ル・マンで応援したいというファンの声に応え、ニスモが観戦ツアーを企画。実は、そこに参加したファンが中心となり、後に「日産応援団」が結成されました。
こうしてフランスにまで応援に来てくれるファンとニスモの交流が始まりました。そのファンへの感謝の気持ちを込めたイベントをニスモ社員が企画。これが1997年の第1回NISMO FESTIVALです。97年のル・マンを戦ったマシン「ニッサンR390 GT1」を日本のファンにも見せたかったという思いもあったでしょう。ル・マンを通じ、自動車メーカーのワークスチーム「NISMO」と「日産&ニスモファン」の距離が縮まっていく大きなキッカケを作ったイベントでした。
今でこそSUPER GTで自動車メーカーがファンに対して積極的な交流を図ろうと様々な企画を行い、日本のサーキットには親しみやすい雰囲気があふれていますが、当時はまだこういった交流が少なかったのです。そういう意味では1997年の第1回NISMO FESTIVALはこれまでにないテイストのイベントでした。ドライバーのトークショーだけでなくコースでのデモンストレーションレースも実施。懐かしいレーシングカーや参戦したレースも時代も異なるマシンが一緒に走行し、ファンにとっては見たことない夢のような空間が生まれたのです。
これが今年19回目を迎えるNISMO FESTIVALの魂とも言える哲学の始まりです。今や自動車メーカーがシーズンオフに行うイベントは多数行われるようになりました。そして温故知新ということで懐かしいレーシングカーを走らせるイベントも盛んになってきています。でも、ファンとの交流から始まったNISMO FESTIVALは全てにおいて成り立ちが違うんですね。
今年、2016年は日産応援団結成20周年の節目の年、ということで今年のNISMO FESTIVALでは関連イベントも企画されているとか。企業も20年経てば世代が変わるはずで、歴史的事実を知らない社員も出てきて風化していきそうなものですが、ニスモ社員の皆さんはこの事実を忘れてはいません。そう、日産&ニスモのモータースポーツに携わる人たちは歴史を本当に大切にしているのです。
「ゴー!ゴー!ニッサン!」と大きな声で応援し、レース中ずっと旗を降り続ける日産応援団の皆さんの姿は今やサーキットに無くてはならない光景ですよね。それを20年続けている応援団の皆さんの活動も素晴らしいと思います。先日のSUPER GT最終戦の後、応援団の方々がNISSAN/NISMOブースにお越しになりましたが、声枯らしてましたよ。これには本当にびっくりしました。そこまで頑張るんだと。走る方も全力なら、応援する方も全力。自動車メーカーとファンの熱い関係。その両者がつながったのは当然だったのかもしれませんね。
さて、今年、SUPER GTのレースなどで一瞬でも日産系チームやNISMOを応援したことがあるというアナタ!今からでも遅くはありません。NISMO FESTIVALで応援団の皆さんに加わって一緒に楽しみませんか!?最後のフィナーレで皆さんがスタンドに集結する光景はNISMO FESTIVALに無くてはならないシーン。ぜひあなたも一緒に中に入って、その熱い気持ちで一緒に声に出してみてください。「ゴー!ゴー!ニッサン!ゴー!ゴー!ニッサン!」ってね!