影山にドライバー交代した以降もニッサンR391は、常にトップのポジションをキープ。判で押したように1'21"から22"前半のラップタイムで周回を重ねた。レースが中盤に差し掛かった100周目頃、あたりを覆っていた雲が薄れ、時々日が差すようになる。影山もコマス同様、2スティントをタイヤ交換なしで走る作戦を取る。リフューエルのためのピットインも、コマスの時と同じ約30秒。約60秒後にトップを追いかける2位トヨタTS020は、3回目のピットイン時に電気系のトラブルを発生。約4分のピット作業ののち、再びR391追撃を開始した。
3人目のドライバーである本山にドライバー交代したのは161周目。やはり前回同様約60秒後には戦列に戻っていった。一方、その頃トヨタTS020は、エース片山右京が乗り、気迫のドライビングで本山を追う。時には1'19"台のハイペースで追い上げるが、本山は動じることなくペースを乱すことはなかった。
179周目、最終コーナー出口にストップした車両を排除するために再びセイフティカーがコースに入る。レースを1スティント分残した時点であったため、本山からコマスにドライバー交代。コマスは堅実なドライビングで残りの周回を走りきり、228周目のチェッカーフラッグをトップで走り抜けた。
2位に約250秒もの差をつけて堂々ぶっちぎりの優勝をおさめ、来年のル・マン24時間レースの予備予選免除、6月の決勝出場権を手に入れた。
ル・マンの雪辱を晴らし、堂々優勝した勝因は、ノートラブルであったことに加え、安定したラップタイム、タイヤのチョイス、そして無駄が全くないピットワークであった。ドライバー、ピットクルー、そして司令塔の息がぴったりあった、「チーム総合力」以外のなにものでもない。