Driver's Talk
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G’ZOX HASEMI Z #3ドライバー 金石 年弘「海外の経験を役立てる」
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「海外の経験を役立てる」
 初めて海外のレースに出たのは95年で、年に一度行われるカートの世界選手権(イタリア)でした。練習では良かったんですが、予選落ちしてしまいました。後から考えると、初めての海外で雰囲気に飲まれたというか、戸惑っているうちに終わってしまって。そんな中でも外国の選手たちはしっかり結果を残している。これが世界なんだと実感しました。
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 カートから4輪に上がって初めての海外レースは、F3でスポット参戦した99年のコリア(韓国)でした。マカオでケガした選手の代打だったんですが、予選1位決勝5位と結果が良く、チームの社長に(鈴木)亜久里さんが話をして、(ミハエル・)クルムさんもプッシュしてくれて翌年のドイツF3に参戦することになったんです。そのときに一緒にトレーニングをしたのが(アンドレ・)ロッテラーで、クルムさんにもいろんなことを教えてもらいました。初年度は優勝1回でシリーズ8位、2年目はトップチームに移ってチャンピオンを獲ることができました。
 ドイツ語は全然(笑)。英語が少し分かる程度だったんですが、それでもデュッセルドルフでひとり暮らしをしました。デュッセルドルフって比較的日本人が多く住んでるんですが、現地在住の日本人コーディネーターがよく夕食に呼んでくれました。でもサーキットで日本人は僕ひとり。唯一の友達はチームメイトのゾイト・バウムガルトナー(03〜04年F1)だけ。特に2年目は全然日本に帰れなくて、さすがにホームシックになってつらかったですね。
 今は日本のF3でも1日2レースやってますけど、当時のドイツは既にそうでした。参加台数も30台ぐらいあって、予選では1秒の中に20台ぐらいいて、失敗ができない状況。今、GTでは特にスーパーラップで一発の速さが要求されますけど、ドイツの経験は生きていると思います。2年間本当にレース漬けでしたからね。
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 それとドイツのコースは路面状態が悪いんですよ。雨の日なんかは大変でした。それにドイツでは接戦になったときの駆け引きを数多く体験してきました。そんな中で外国人相手に結果を残せたことは自信になっていますね。ドイツという土地が自分に合ったのかもしれませんが、環境には自分で合わせていかないといけないですね。誰も合わせてはくれませんし。でもきっとイタリアだったら、何となく合わせられなかったかもしれません(笑)。
 ですから実は今でも海外に出たいんですよ。若いイケイケのドライバーばっかりの中で、バトルをしたいんです。行けるチャンスはきっとあると思っています。