子どものころ、そうですね、5歳ぐらいだったから69年か70年。父はル・マン24時間を見に行っていました。
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私には「まだ小さいから」と言って、連れて行ってくれませんでした。当時は私もレーサーになるとは思わなかったし。
初めてル・マン24時間に出たのは95年(関谷正徳氏がマクラーレンF1 GTRで日本人初の総合優勝をした年)です。ラルブルコンペティションのポルシェ911 RSR GT1で一時4位を走りましたが、リタイアになりました。コースのことを知らなかったし、ポルシェも初めてだったし、夜の雨では250km/hでワイパーが効かなくなったし怖かった。クルマよりも家の中にいたかったほどです(笑)。
私はニッサンのクルマでは3回ル・マンにチャレンジしています。97年はトラブルがあったので12位でしたが、完走して翌年以降のためのデータを取り、次につなげることが出来ました。
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98年は私たちは6位でしたが、星野(一義)さんたちが日本車で(当時)過去最高の3位表彰台に入りましたし、R390 GT1は全車がトップ10に入りました。99年もトラブルにあいました(リタイア)が、秋に富士スピードウェイで行われた「ルマン富士1000km」ではトヨタを破って優勝し、雪辱を果たして2000年大会への出場権を得ました。2000年は大きなチャンスだったのですが、残念ながらプロジェクトは中止になりました。
ドライバーというのは30歳ぐらいまでとてもわがままなんです。でもル・マンでは1台のクルマをシニアドライバーたちと組んで3人でシェアします。
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私もル・マンに出るようになって、スタイルが変わったと思います。特に98年にニッサンR390 GT1で出場したときは、ヤン・ラマースと組むことができましたが、彼は88年にジャガーで優勝経験もある。彼のレーシングスピリットなど多くのことを勉強できました。ル・マンではそんな経験もできるんです。
今年走るチームはフランスのペスカローロですから、コミュニケーションは楽です。細かいニュアンスを伝えられたり、あうんの呼吸があって。
それにオーナーのアンリ(ペスカローロ)は4回も優勝した人で経験も豊富。地元のチームなのでとても人気があります。
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クルマのポテンシャルも高く、優勝のチャンスはあります (6月5日のテストデーでは総合トップ)。怖いのはトラブルだけ。
私はラリーファンでもあります。ル・マンはレースとラリーがミックスされたようなイベントだし、とてもフレンドリーなんですね。F1じゃそんな雰囲気は味わえない。だから特別なイベントなんです。今年は私と同じチームからWRCのセバスチャン・ローブが出ますが、ビッグチャレンジですね。ラリーと違ってル・マンのレースは、スピードが高いです。それにラリーのSSでは1台だけで走れますが、レースでは渋滞もあります。でも頭のいいドライバーなので大丈夫でしょう。
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私の目標はもちろん優勝。
人生のターゲットです。
あの大きなトロフィーを手に入れたい!
もしニッサンがル・マンに戻ってきたら?
それはもちろん乗りたいですよ!
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