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今年で5回目のニュルブルクリンク24時間参戦。10回を超える日本のニュルマイスター、木下隆之。1万1000周以上を走ったというダーク・ショイスマンに比べ、田中哲也のニュルのラップ数は4回の参戦で、まだ220周余りと言う。冷静沈着、理論派、長谷見昌弘と星野一義がパートナーに指名した男こと、田中哲也が語るニュルブルクリンクは、彼らしい冷静な分析と裏腹に意外なほど壮絶な思いだった。
ニュルは楽しいって多くの人はメディアに言いますよね。偉大なる草レース。コースは起伏に富んでブラインドコーナーばかりで恐いけれど、みんな和気あいあいと楽しんで、日本にもこんなレースがあったらいいなって。僕も最初はそう思ってました。でもそれは失礼な言い方だけれど、220台のうちの90%の遅い車に乗っているからこそ言えることだと思います。僕も遅すぎるのは嫌だけど、ポルシェのカップカークラスの適当に速い車でニュルに出たら、きっとみんなと同じように最高に楽しいレースになるだろうなと思います。でもスカイラインGT-Rのような速い車でDTMクラスの車と勝負しよう思ったら、限界まで攻めようと努力しなければならない。 例えばル・マンはストレートスピードがものすごく速いので、もしここでブレーキが壊れたら、という恐怖心がありますよね。でもコーナーは意外とシンプルな減速区域なんです。ニュルの場合はコーナリングスピードが恐ろしく速い。ストレートは300km/h弱ですが、それは上り区間なのでそれほど恐くないしむしろ楽しい。
耐久レースですから決して無理はしないで少しずつ限界に近付いていくわけです。そうして僕の場合4年かけて攻め方を覚えてきたわけですが、まだ限界が先にある。あとほんの少し、ほんの少しと近付いていっているのにまだ先が見えて来ない。でも、プロフェッショナルドライバーとしてその限界の一線というのは命のラインだということだけは気がつくんです。その髪一重を超えた時に命を落とすということが、攻め方と同時にわかってくるということです。 以前の雨の富士をF3000で走った時と同じように、どこで自分にストップをかけるかが命の分かれ目になると分かっていながら、ドライバーの血が行かせようとしてしまうのと同じかもしれません。しかも普通のサーキットでは、例えフォーミュラ・ニッポンでも1日走ればここまでが限界、というラインが分かるので決してそこに行こうとはしないのに、ニュルの場合4年走ってもまだ先に行けてしまう。まだ本当の一線が見えて来ない。タイム的には1万周走ったショイスマンと変わらないので、この辺なんだろうと分かっていても、走るたびにここはまだ行けるはずだ、行きたいという想いが次々と出てきてしまうんです。それがどんどんフラストレーションになってたまってきてしまいます。だからまた来たくなる。木下さんも言ってましたが、レースが終わった瞬間に考えるのは、
アデナウの森には魔女が棲むと言いますよね。そうしてF1のニキ・ラウダをはじめ多くのドライバーがその手招きに呼ばれていってしまった。今ではF1もグランプリコースしか開催できなくなって、そのグランプリコースはどんどん安全に改修されていっているのに、オールドコースは以前と変わらずに使われています。その魔女の手招きが、僕にも少しずつ見えてきているんでしょうね。ショイスマンもアッシュも木下さんも、何度ニュルを走ってもその恐さと魅力は変わらないと言っていますから、同じ心境なんだろうと思います。 もし、来年ここに来れなくなったら、それは今まで感じたことがない寂しい気持ちになると思います。それはプロのドライバーとして、ひとつのレースの限界を極められない思い。だから声をかけられたら行きたいと答えるでしょう。それと同時に、プロのドライバーとして、ちゃんとお金をもらわなければ出たくない。趣味ではなく仕事としての目的意識をちゃんと背中に背負わない限り、タイムを出す以前に、まず飛行機に乗れないでしょうね」 |
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