ニュルのサーキットができたのは1927年、つまり昭和2年のこと。昭和2年といえば、日本で初めて地下鉄(東京・上野〜浅草)が開通したころ。日産自動車の前身である「自動車製造株式会社」が誕生する6年も前のことだ。そんな時代に第一次世界大戦の失業者対策とはいえ、山岳地帯にレーシングコースを作ってしまった。さすが自動車先進国ドイツ。
北コース(ノードシュライフェ)は、現在も当時のままの雰囲気を残しながら存在する。高低差実に300m、コーナーの数160以上と言われ、左右のブラインドコーナーはもちろんのこと上下のブラインドコーナーまで存在する。しかもハイスピードコースで、スカイラインGT-Rでは300km/hまで達するほどだ。
このノードシュライフェは普段は開放され、通行料金を払って自分のクルマやバイクで1周することができる。この1周の間には世界のありとあらゆる道路の悪条件が凝縮されているとも言われ、このために自動車メーカーが市販車のテストコースとして利用することも多い。スカイラインGT-RもR32のころからノードシュライフェでテストを繰り返してきた。ここはいわばGT-Rの“聖地”でもあるわけだ。