IRLにインフィニティ・エンジン供給を継続

February, 2002

日産の北米事業を統括する北米日産は、ニッサンインフィニティエンジンを本年度インディ・レーシング・リーグ(IRL)に参戦する3チーム、4台に供給する。

今年エンジンの供給を受けるのは、昨年の2チーム(レッド・ブル・チーバー・レーシングとチーム・ピュレックス・ドレイヤー&ラインボルド・レーシング)と、シリーズ初参戦のマイ・ジャック/コンクエスト・レーシングとなる。

北米日産は1997年からIRLにエンジンを供給しており、昨年3月に最新エンジン「インフィニティ・インディ35A」を導入した。第4戦カンザススピードウェイでは、エディ・チーバーJr.が優勝を飾り、ロビー・ビュールも後半4戦でレースをリードするなど、その性能の高さを示してきた。

シーズン終了直後から、インフィニティ・インディ35Aは電気系統の見直しとエンジンの主要部分の耐久性向上を中心に徹底した改良が行われ、5000マイル以上もの耐久テストも実施された。さらに、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)との共同開発により、エンジン重心センターの更なる低下と、出力の大幅な向上を達成した。

インフィニティ・モータースポーツ コーポレート・マネージャー スティーブ・カイト
「最新バージョンのインフィニティ・エンジンは、昨シーズン後半で得たような性能上のアドバンテージをチームに与えることになります。より多くの勝利を挙げ、チャンピオンシップを制することを目指します」

レッド・ブル・チーバー・レーシング
世界中で人気の栄養ドリンク、レッド・ブルを新たにスポンサーに迎えたチーバー・インディ・レーシングは、2002年インディ・レーシング・リーグ・チャンピオンシップに向け、チームをグレードアップする。
チームは2台体制でフル・シーズンに臨む。No.51レッド・ブル・チーバー・レーシング・インフィニティにはオーナーでありドライバーのエディ・チーバーJr.が乗り、No.52のインフィニティのドライバーは後日発表される予定。
「このオフ・シーズンはインフィニティ・エンジンの開発のために、エンジニア達といっしょに一生懸命やったよ」と1998年インディ500勝者のチーバー。「西海岸でのテストが、冬の間やったことの成果を見る初めての機会なんだ」と語っている。
チーバーは1999年からインフィニティ・インディ・エンジンでレースをしており、2000年はパイクス・ピーク、2001年はカンサス、とインフィニティ・エンジンを搭載した車で2度勝利を挙げている。

チーム・ピュレックス・ドレイヤー・アンド・ラインボルド・レーシング
インディアナポリスでインフィニティ販売店を2つ経営するチーム・オーナー、デニス・ラインボルドとロビー・ビュールが2002年IRLシーズンに再び出場する。チームは引き続き、アベンティスと、国内で急成長中の洗剤ブランドのピュレックスをスポンサーに迎える。
「前回遣り残したことを片付けたい」と、昨シーズンは終盤の4レースをリードしたビュール。「去年は些細なミスで、優勝を逃したからね。でもインフィニティ・エンジンはとても強かった。西海岸のテストでは最新インフィニティ・エンジンを回すのが楽しみだよ」と言っている。
ビュールは2000年にインフィニティ・プログラムに参加し、インフィニティ・エンジンで3度3位入賞を果たしている。

マイ・ジャック/コンクエスト・レーシング
初のインディ・レーシング・リーグ、フル出場への準備を進めているマイ・ジャック/コンクエスト・レーシングは、先日、2002年シーズンに向けて、インフィニティ・インディV8エンジンの採用を決定したことを発表した。
「2001年の終わり頃、インフィニティ・エンジンは力強くなったと思いました」と、マイ・ジャック/コンクエスト・レーシング・チームのオーナー、エリック・バチェラート。「トム・ウォーキンショー・レーシングがエンジン・チューニングを担当し、クォリティとパフォーマンスのレベルには自信があります。また、インフィニティは、IRLでのプログラム・ディレクターにベルナール・デュドを迎えました。デュドは、フォーミュラ1でウィリアムズとベネトンのルノーがチャンピオンシップ優勝を果たしたのを陰で支えた一人です。彼は業界の中でも高く評価されています」と語った。
インディアナポリス500でのドライバー経験をもつバチェラートは、2002年シーズンのNo.34マイ・ジャック/コンクエスト・レーシング・インフィニティのドライバーに、フランスのシャモンのローラン・ルドンを選んだ。2人は昨シーズンでコンビを組み、シカゴランドとテキサスのインディ・レースに出場した。レドンは、1998年にミナルディで、そして1999年にはベネトンでフォーミュラ1のテスト・ドライバーを勤めた経験を持つ。1996年、1997年に はフォーミュラ3000チャンピオンシップに出場し、2年とも上位10位入りを果たした。


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