ニッサン・ハードボディ、またもや圧勝 −マフィケン500でクラスT1位で総合優勝−
Mafikeng Off Road - July 14, 2001
![]() フランソワ・ジョーダンをナビゲーター・シートに据え、ニッサン・モータースポーツ・ハードボディV6ダブルキャブ4X4で出場したド・ビリエールは、予選から最高タイムを叩き出し、決勝では2度の250kmループではトップを譲ったものの、500kmイベントのスタートから首位をキープし続けた。 「すばらしいレースだったけど、トップをキープし続けるのは本当に大変だった。一番大変だったのはフィールドをリードすること。前を走る車がいなかったから軌跡が無くて、自分で探さなきゃならなかったからね。それから、他の車が近づいて来ないと、後ろで何が起こっているのかわからなかったよ。」とド・ビリエールは笑顔でレースを振り返った。 接戦になったのは、タイムトライアルで全面的に敗北し、勝負をフィールドに賭けたディフェンディング・チャンピオン、ネイル・ウールリッジとケニー・スクジャマー組(フォード・レンジャー)のみであった。予選トライアルは金曜日におよそ45km以上に及ぶ距離を走って行われ、その結果によって本戦のスターティング・グリッドが決まる。ド・ビリエールにとって2ヶ月前にクワズール・ナタルで行われたニッサン提供によるシュガーベルト400がまったく初めてのオフロード・レースであったが、このレースですでに彼は優勝を勝ち取る才能の片鱗を見せ始めていた。 「彼らが前に出ようと攻勢をかけてきていたのはわかっていたけど、どのくらい距離があるのかわからなかった。リードはしていたけど、気は抜けないな、と。不必要に焦ることなく、差を開くためにペースを上げなければならなかった。余計なことをしてパンクでもしたら、せっかくのリードが台無しになるからね。」とド・ビリエールは言っている。 ニッサン・モータースポーツのマネージャー、グリン・ホールはド・ビリエールのシーズン2度目の勝利(ニッサンにとっては、ベルベスパン500でハンヌ・グロブラー、リチャード・リーク組が上げたチーム初の勝利以来3度目)に圧倒されている。 「ジニエルの勝利は本当にうれしいが、同時にハンヌに彼自身とクルマの性能を向上させるチャンスを与えてあげられなかったのは実に残念だ。でも、このことがド・ビリエールの勝利を支えているのは確かである。」と、ホールはグロブラーがスタートから約70kmの地点でギヤ・ボックスの不具合によりリタイヤしたことについても言及した。 ニッサン・チームはド・ビリエールが出場した量産車クラスで、グロブラーやクラスDチャレンジャーである元ツーリングカー・ドライバーのダンカン・ボスを抑えて優勝したのである。 しかし、ニッサン・キャンプを驚かせたのは、マフィケン・イベントでは、ル・マン車両のようなワールド・スポーツ・カーから量産車のニッサン・ハードボディ・ダブルキャブに乗り換えたゲスト・ドライバーのゲイリー・フォマートだった。彼は今回がダートレースのデビュー戦であり、他のクラスDのニッサン・ハードボディ参加者を抑えて完走したのである。 「いい勉強になった修羅場の一つです。車に乗ってからレース開始まで10分しかなく、タイムトライアルは目を見張るような経験でした。でも、レースは素晴らしいものとなったと思います。必要な限りハードにドライブし、そして完走するように指示されていました。」とサーキット経験豊富な彼は語った。
RESULTS 【最終結果(プロダクション・ビークル部門)】
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