〜12月11日 日産スポーツプラザ〜


12月11日、東京・品川区の日産スポーツプラザにおいて、日産モータースポーツ表彰式が開催されました。

ザウルスJrレース東日本シリーズ、シルビアレース富士シリーズ、マーチ・レース関東シリーズ、マーチ山陽シリーズなど東日本・関東・山陽地区のニッサンワンメイクレースにおいて優秀な成績を残した24名のドライバー、全日本GT選手権GT500部門のドライバーズチャンピオンに輝いたエリック・コマス選手、コンビを組んだ本山哲選手、ラリーレイドモンゴルでT1部門優勝の長谷見昌弘選手らのトップドライバー、2輪駆動部門でA、B、Cの3部門を日産車が制した全日本ラリー優勝クルーなど、本年のモータースポーツシーンで活躍した数多くの日産ドライバーが集まりました。

ワンメークレース各選手は、日産自動車(株)の小島久義副社長からトロフィーとシリーズ賞金を授与され、一様に満面の笑みで喜びを表現していました。

また、ニッサンモータースポーツ賞を表彰されたトップドライバーたちも、いつも見なれたレーシングスーツではなく正装で壇上に立ち、それぞれ喜びのコメントを残しました。

ル・マン富士1000kmレースで、完全勝利を勝ち取った「ニッサンR391」のドライバー、影山正美選手は、「絶対にこのレースは勝とう、とチーム内に士気と緊張感がみなぎっていました。僕は緊張していないように見えたかもしれないけど、胃に穴が開くかと思うほど重いプレッシャーを感じていました。でも、完璧なレースができて、しかも目標だったル・マン出場権が取れたので、こんなにうれしいことはないです。」と語っていました。

表彰式後の懇親会の席上、30年以上日産、ニスモに勤め、ニスモワークスチームの監督として数々の勝利を導いた岡寛さんが退職すると報告され、トップドライバーらが壇上に上がり、送別会が行われました。

岡監督は、「常に日本を代表するトップドライバーたち、素晴らしいクルー、スポンサーやファンの皆さんの熱いバックアップがあったからここまで来れた。感謝し、そして感激しています。」と語り、自らのワークスエンジニア生活を振り返っていました。




'99ル・マン富士1000kmレースにて
おか ひろし
岡 寛

1947年(昭和22年)3月10日生まれ
1965年(昭和40年)日産自動車株式会社入社
車両実験部車両実験課に配属
1965年4月から1967年7月、生産車&開発車の車両実験(主に走行実験)を担当
1969年8月から1984年8月、ニスモの前身である宣伝部宣伝第3課で、サニー、チェリー、スーパーシルエットなどでレース参戦、1984年9月、ニスモ創立と同時にニスモへ出向し、1992年までの8年間、グループCでのレース参戦を行い1993年から1999年までの6年間をGTRを基本にしたGT車でのレース参戦を行う
1998年から1999年、ニスモGTチーム監督として日産の、またニスモの車両開発及びレース参戦に多大なる貢献
1999年12月末をもって退職



◎1999年日産モータースポーツ表彰者一覧
(1999年の各クラスの表彰者はこちらをご覧ください。)

  • '99 ニッサンワンメイクレース東日本・関東・山陽地区表彰者

  • '99 日産モータースポーツ表彰者