WEC REPORT

Vol.
2014.5.5

皆さん、こんにちは!

SUPER GT 2014 第2戦富士は金曜日の搬入日から晴天に恵まれ、この週末で約9万人のお客様が富士スピードウェイに来場されました。SUPER GTは常に来場者数を誇るレースではありますが、いつも以上にサーキットに人があふれている印象で、「この中で勝ちたい!」と強く思いました。

土曜日の予選。レクサスが得意とされている富士で、GT-RがGT300クラス・GT500クラスとWポール、そしてGT500クラスで1-2-3-6位獲得という結果は、GT-Rの速さを証明することができたと思いますし、開発陣は喜びと共にほっとした気持ちもあったと思います。また、何よりも日産ファンにその姿を見せることができたことが一番でした。

しかし、日曜日の決勝・・・23号車と46号車はまたもや不運に見舞われてしまいました。いえ、「不運」という言葉で片付けてはいけないことだと思います。

46号車の本山さんは、速いペースで走るトップの12号車に意地でも離されまいとドライブをしていましたが、19周目にマシンから出火し、残念ながらそのままレースを終えることになってしまいました。私はたまたまそのタイミングにモニターから離れていたので、後でどれだけその時の状況が危険であったかを知りました。本当に本山さんが無事で良かった。

そして23号車は3位でスタートしたRonnieが順調に周回を重ね、34周で1回目のピットインし次生くんにステアリングを渡しました。ピット作業もうまく行き、その後トップに躍り出ることができました。しかし、次生くんのスティントに入ってから、ステアリングに不具合が生じ、とうとう69周目にマシンを停めることになってしまいました。それでも次生くんは何とかマシンをコントロールしながら、ピットに戻ってきてくれました。その時の次生くんは、ただ単に「スロー走行」を強いられていただけではないのです。もしかしたら、次生くんでなければピットに戻って来ることができなかったかもしれない。それだけドライバーにとっては覚悟を持った「必死」のドライブだったのです。そんな「必死」な思いでピットイン。その時点でまだ次生くんは最低周回数に達していなかったので、修復作業をして再度コースに戻りました。

その瞬間Ronnieは明らかに落胆していました。「優勝」の2文字が見えていたし、たとえもしペースのいい12号車にオーバーテイクを許すことになったとしても、「2位表彰台」は確実だと私たちも思っていたので、それは当然の感情だと思います。ただ、それでもがんばっている次生くんの走りを、ずっとRonnieは見つめていました。そして次生くんから渡されたステアリングを再度握り、残りのレースをひたすら走り続けました。正直戦わなくてはいけないのは、他の誰でもマシンでもなく、自分自身だったと思います。そして最後まで諦めずに8位でチェッカーを受け、チームに3ポイントを持って帰って来てくれました。

今回はチームもドライバーも自信を持って臨んだレースであっただけに、いまだに悔しくてたまりません。もちろん自分たちの不甲斐なさも実感しています。

次生くんはマシンを降りた後、悔しさと怒りでいっぱいでした。でも、私はそれが当たり前だと思うし、ドライバーがそれを見せてくれないと、ピットにいる私たちにはトラック上で起きていることやマシンに起きていることが、想像以上に分からないことがあるのです。それとは逆に、ドライバーはトラック上ではある意味孤独で、私たちがモニターで分かることがドライバーには全く分からず、今自分が誰と戦うべきなのか、どの位置にいるのか、見えないことすらあります。

私は理系のことが全く苦手で、技術的なことは充分に理解ができない分、少なくとも彼らがどんな状況でどんな思いであったか、それだけは理解したいと思っています。それに、いくら勉強や経験を重ねても、私たちがステアリングを握ることはだけは決してできない。つまり、ドライバーにはドライバーにしか分からない恐怖や感情が必ずあるはずであることを、チーム員の私たちは決して忘れてはいけないと思うのです。

だからこそ、Ronnieがどんな思いでレースを続けているか、次生くんが一番理解できるはずだと思いました。そして次生くんは自分が今まで一緒に戦ってきた12号車が表彰台の真ん中に立つことを、おそらく誰よりも悔しい思いで見ながら、きちんとRonnieがチェッカーを受けるのを待っていました。

今週末、私たちは菅生でGTA公式テストがあります。それまでに更なる課題も山積みではありますが、ドライバーたちがチームやマシンへの信頼を取り戻すことができるよう、一生懸命取り組んでいきたいと思います。

そして、500KMという長丁場のレースを制したのは、ポールトゥウィンという完璧な展開を繰り広げた12号車でした。

JPは終始他を全く寄せ付けない走りで、本当にかっこよかったですし、実は安田くんは金曜日から高熱を出し、万全の状態ではありませんでした。しかし、優勝した後の彼は、久しぶりの勝利にとてもすがすがしい良い表情をしていました。表彰台の裏で「写真を撮るよ!笑って!」と言うと、「小川さんはつらいのにごめんなさい」と言われてしまいました(笑)。確かにレース後は疲れ切った顔をしていたのかも・・・ただ、もちろんNISMOが勝てないのは悔しいけれど、NISMOが開発をしてきたGT-Rの勝利やJPと安田くんの笑顔を見ることができ、心から嬉しく思っているんですよ!!

また、惜しくも3位表彰台には届きはしませんでしたが、安定した速さを見せた24号車。

Michaelの表情はもちろん外から見えませんでしたが、すごい気迫を24号車からは感じたと思います。実はGT1プロジェクトで一緒に仕事をしていた戦友であるJRMのNigel氏が、金曜日の朝交通事故で亡くなりました。Michaelはとてもショックを受けていたと思います。しかし、その走りは天国に旅立ってしまったNigel氏にもきっと届いたことでしょう。そして佐々木くんもMichaelの背中を見ながら、確実に成長を見せてくれています。これからの24号車はとても楽しみです。

Nigel氏のご家族、ご友人、そしてNigel氏を愛するすべての皆様に、謹んで心よりお悔やみ申し上げます。

次戦はGT-Rが得意とするオートポリスです!もちろんいつでもどこでも勝ちたいのですが、なぜかオートポリスでのレースへは思い入れがあるので、今度こそ絶対に勝ちたいと思います。皆さん、次戦も応援よろしくお願いいたします!

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