NISMO FESTIVAL at FUJI SPEEDWAY 2016

辻野ヒロシのNISMO FESTIVAL 2016 コラム

Vol.1 「懐かしいレーシングカーと出会える、NISMO FESTIVAL」

皆さん、こんにちは。レースアナウンサーの辻野ヒロシです。12月11日(日)に富士スピードウェイで開催される「NISMO FESTIVAL 2016 supported by MOTUL」でメインMCを務めさせて頂くことになりました。そんな僕の自己紹介も兼ねて、今回から4回に渡りホームページにNISMO FESTIVALのコラムを寄稿させていただきます。

今、この記事を読んでくださっている方はNISMO FESTIVALにお越しになったことがあるでしょうか? あるという方はステージイベント等でお会いしているかもしれませんね。これまで僕は主にステージイベントのMCを担当していましたが、昨年はピットレポーター、そして、今年はなんとメインMCということで、主に放送室からの実況をすることになります。NISMO FESTIVALは日産、ニスモのモータースポーツ活動の総決算的なビッグイベントですから、かなーり緊張しております!ガクガクブルブル。というのは冗談で、実はとても楽しみにしています。というのも、僕はこのNISMO FESTIVALの雰囲気が大好きだからです。

僕は先輩のピエール北川さんの紹介でこのイベントに2005年に初出演させていただきました。その時、衝撃を受けたのが、ル・マン24時間レースの歴史を彩ってきたモンスターマシン「グループCカー」がこれでもか、というくらいにアクセル全開で走る姿です。ビックリしましたね、ええ。グループCカーが走るのは知っていましたが、古いマシンですから、ヌル〜く走るものだと思っていたんですよ。それが富士に来てみたら、ロングストレートで爆音を響かせながらのアクセル全開走行ですよ!身体に電流が走ったかのようなインパクトを受けたのを今でも覚えています。

グループCカーのレースは僕も大好きなカテゴリーの一つです。当時を知らない方に少し紹介しておくと、グループCカーとはFIA(国際自動車連盟)の今は存在しない車両規定です。まぁレースの1カテゴリーと申しましょうか、ザックリ言えば、レース専用マシンを自由な発想で作り、それで耐久レースをやりましょう、という感じです。鍵となる決まりごとは燃料の量だけ。つまりは燃費の良いマシンで耐久レースに勝ってくださいね、というレースです。割とザックリとした車両規定だったものですから、各自動車メーカーが独自の哲学で作り上げた究極のマシンが耐久レースを戦っていたんです。日産自動車も世界3大レースのひとつル・マン24時間レースをモータースポーツ活動の頂点とし、日本の自動車メーカーがどこも成し得ていない「ル・マン 日本車優勝」という快挙を目指して頑張りました。今からおよそ30年前、1980年代半ばのことです。

日産は1986年からル・マンに参戦。グループCカー時代のピークとも言えるのが1990年。この年のル・マンで「ニッサンR90CK」24号車を駆るマーク・ブランデルが日本車初のポールポジションを獲得。1200馬力とも言われる圧倒的なパワーを誇った予選スペシャルエンジンを搭載しての快挙だったそうです。ただし、これはヨーロッパのチーム。日本のニスモは独自開発した「ニッサンR90CP」を投入。決勝での優勝を狙いましたが、「ニッサンR90CP」の23号車(長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男)が5位完走、という結果に終わりました。それでも5位は日本人ドライバーと日本車による当時最上位の記録です。

1980年代後半の数年間はジャガー、メルセデスベンツ、ポルシェ、トヨタ、マツダそして日産という自動車メーカーが過激に争い、年々エスカレートした時代だったということです。日産はル・マンで勝てませんでしたが、モータースポーツ活動の歴史が遥かに長い海外メーカーとの差を埋め、グイグイと追いついていった時でもあったのです。その中でも挑戦を続けグループCカーに近い規定で行われるアメリカの「デイトナ24時間レース」(1992年)に出場し、「ニッサンR91CP」で優勝。世界3大耐久レースのひとつを制しました。

実はこの時代のグループCカーで培われた技術が、現在ニスモが主戦場としている「SUPER GT(旧・全日本GT選手権)」における「スカイラインGT-R」「フェアレディZ」「NISSAN GT-R」をベースにしたレーシングカー製作に活かされていきました。2014年以降のGT500マシンは車体の幹となるモノコックや多くのパーツが3メーカーで共通化されていますので、オリジナルの部分はかなり少なくなっていますが、先日のSUPER GT最終戦のNISSAN/NISMOブースに展示されていた2013年の「MOTUL AUTECH GT-R」はグループCカーから続く、日産・ニスモの戦いの歴史の究極系とも言えるマシンです。コクピットライドを楽しまれたお客さんも多かったと思います。

NISMO FESTIVALは1960年代のレーシングカーからグループCカー、そして2000年代以降のSUPER GTマシンまで、脈々と受け継がれてきた日産バッジを掲げた究極のレーシングカーの走りを楽しめるイベントと言えます。往年のドライバー達が当時と変わらないアクセル全開の走行を行い、美しいエンジン音を響かせてくれる。これを世代を超えて楽しめる。NISMO FESTIVALでは、まずコース上で展開されるイベントをじーっくり楽しんでくださいね。