Story
日産
GTレース参戦ヒストリー
The Story of Nissan and SUPER GT 1993-2005
1993
1992年にグループCによる耐久選手権(JSPC)が終了し、1993年からGTによる選手権が行われた。しかし、GTクラスの参加台数が揃わずJSSなど他のカテゴリーと混走での開催となり、富士で3戦が開催されたにとどまった。参戦したGT車両は、NISMOがエントリーしたカルソニックGT-R(影山正彦)、S13シルビア(木下隆之、福山英朗)の2台のみ。このR32 GT-Rには、グループA仕様のGT-Rをベースに大型のエアロパーツが装着された。駆動方式は4WDアテーサE-TSのままで、ミッションも5速。エンジンも600ps以上を出していたグループA車両よりもやや下回っていたといわれる。シルビアもワンメイクレースのN2仕様のスーパーシルビアをモディファイしたもの。影山はライバル不在の中、3戦全勝して初代のGTチャンピオンとなっている。
 
1994
1994年にはツーリングカー選手権もグループAから、NA2リットル4ドアセダンによるJTCCへと移行。GT選手権もこの年からは現在とほぼ同じ競技スタイル(2クラス混走、ウェイトハンデ制など)となった。
影山正彦の乗るカルソニックスカイライン(インパル)と袖山誠一のコクピット館林GT-Rは4WDのN3仕様のまま。長谷見昌弘のユニシアジェックスや鈴木利男のZEXELスカイライン(NISMO)は2WDのFRで、ミッションもXトラック6速に変更された。また、飯田章のジョンソンスカイライン(NISMO、第3戦よりN1仕様エンジン、リストリクターなし+4WD)も参加。さらにはZ32ベースのFEDEX 300ZX-LM(影山正美、石川朗、リチャード・ディーン)も参戦した。GT1クラスは影山正彦が2年連続のチャンピオンを獲得。GT2にはR30〜32スカイラインも参戦した。
 
1995
この年投入されたR33GT-Rは“本当のJGTC仕様”となった。ドライブトレインは、全車2WD/FR化され、ミッションはX-TRACのシーケンシャルにとなる。一新されたのはサスペンション系で、マルチリンクから完全なダブルウィッシュボーンへと替わった。
開幕からこのR33だったのはNISMOのJOMOスカイライン(鈴木利男)で、第3戦からジョンソンスカイライン(飯田章)も追加。カルソニック(影山正彦)、ユニシアジェックス(長谷見昌弘)も第2戦からFRのR33となった。また、プライベーターとしてR33(第1〜3戦はR32)ながら独自チューンの4WDを使うZEXEL WISE(都平健二/河合博之組)やR32の中春(福山英朗/水野文則組)、R32に独自チューンのSR20DETを搭載したJUN(小林且雄)などさまざまなGT-Rが出走。FEDEX 300ZX-LM(影山正美)も継続参戦。GT2には前年に続きR30〜32スカイラインが参戦した。シリーズチャンピオンは影山正彦でシリーズ3連覇。
 
1996
96年型のJGTC仕様GT-Rは、前年型を発展させるものとなる。NISMOがZEXELスカイライン(鈴木亜久里/福山英朗)、KURE R33(鈴木利男/近藤真彦)で、そしてカルソニックスカイライン(星野一義/影山正彦)、ユニシアジェックススカイライン(長谷見昌弘/田中哲也)が96年型R33で参戦した。この他には、前年に続きWIZE(都平健二/河合博之)が4WDのR33で、JUN-トラスト(小林且雄/古谷直広)がSR20搭載のR32で、またIMSA-GTS仕様のZ32が新規に投入され、FEDEX 300ZX-GTS(影山正美/立川祐路)がエントリーしている。 なお、この年から2名ドライバーとなっている。クラス区分もGT1がGT500、GT2がGT300に名称変更された。GT300では、S14シルビアをベースにしたパーソンズシルビア(本山哲/井出有治、水野文則)が新規参戦。PPを獲得する速さを見せるも信頼性に欠けた。他にはS13シルビア、R31〜32スカイラインも参戦した。
 
1997
97年モデルは製作が遅れ、第3戦仙台からNISMOのZEXEL(鈴木亜久里/エリック/コマス)、KURE(影山正彦/近藤真彦)、カルソニック(星野一義、水野文則/本山哲)、ユニシアジェックス(長谷見昌弘/田中哲也)と4台が同時に投入された。この年は開幕戦がGT-R唯一の勝利だったが、この時のマシンは96年型改。97年型はライバルに対しストレートスピードが不足して苦戦を強いられた。また、プライベーターとしては、前年のル・マン用テスト車両をN-GT仕様にモディファイしたマシンでエンドレス(木下みつひろ/菊地靖、藤村満男組)が参戦した。
GT300では2台のS14シルビアが本格参戦。RP坂東のRS☆シルビア(織戸学/福山英朗)がドライバーズ、チームのWタイトルを獲得。ダイシンシルビア(大八木信行/木下隆之)もポイントを獲得した。この他S13シルビア、R31〜32スカイラインも参戦した。
 
1998
1998年型GT-Rはエンジン搭載位置を下方&後方に下げ低重心化を計った。エンジンも排気量を140ccアップした95〜96年ル・マン用エンジンの改良版に変更。パワーは500psとアップしたが、トルク面での向上がドライバーに好評だった。ペンズオイル・ニスモGT-R(エリック・コマス/影山正美)が2勝してチャンピオン。またZEXELスカイライン(鈴木亜久里/影山正彦)との2台でエントリーしたNISMOが初めてチームタイトルを獲得した。ランキング3位にはカルソニック(星野一義/黒澤琢弥)、5位はユニシアジェックス(長谷見昌弘/田中哲也)とR33でのラストイヤーを好成績で締めた。また若手育成のためにARTAスカイライン(本山哲/土屋武士)も参加し後半には4戦連続でポイントを獲得した。
なお第2戦はル・マン24時間のPQと日程が重なったために、ラルフ・ファーマン、ペドロ・デ・ラ・ロサ、ミハエル・クルム、加藤寛規らがピンチヒッターとして起用された。
GT300ではNISMOのザナヴィシルビア(近藤真彦/青木孝行)、そしてダイシンシルビア(福山英朗/大八木信行)がS14シルビアで参戦。この他S13シルビア、R31〜32スカイラインも出走した。
 
1999
GT-Rは開幕からR34となった。NISMOのARTAゼクセルスカイライン(鈴木亜久里/ミハエル・クルム、アルミン・ハーネ)とペンズオイル・ニスモGT-R(エリック・コマス/本山哲、アンデルス・オロフソン)、IMPULのカルソニックスカイライン(星野一義/影山正美)が開幕から新型で、ハセミのユニシアジェックススカイライン(長谷見昌弘/田中哲也)は98年型の改良型で参戦した。この年、第4戦MINEでペンズオイル・ニスモGT-Rが勝利し、7戦中4レースで表彰台に上がったコマスがドライバーズチャンピオンを獲得した。
GT300ではNISMOのザナヴィARTAシルビア(土屋武士/井出有治)、そしてダイシンシルビア(福山英朗/大八木信行)とS15シルビアが2台新規投入された。ザナヴィARTAシルビアは3勝を挙げたが1点差でシリーズ2位にとどまった。
 
2000
この年はJGTCの車両レギュレーションに大きな動きがあった。ABSなどのドライバーの電子アシストが禁止されエンジン面ではリストリクターが全般的に厳しくなった。NISMOのロックタイト・ゼクセルGT-R(エリック・コマス/影山正美)は開幕戦に勝利し最終戦までチャンピオンを争い、NISMOのもう1台、カストロール・ニスモGT-R(片山右京、井出有治/ミハエル・クルム)はJGTC初の海外ラウンドとなるオールスター戦セパンで見事優勝を飾っている。カルソニックスカイライン(星野一義/本山哲)はシリーズ3位、ユニシアジェックススカイライン(長谷見昌弘/田中哲也)は苦戦した。 GT300ではダイシンシルビア(大八木信行/青木孝行)がシリーズ4位。C-WESTオートスタッフシルビア(袖山誠一/尾本直史)も参戦した。
 
2001
R34の3年目は通常進化型となった。第4戦富士ではザナヴィ・ヒロトGT-R(ミハエル・クルム/田中哲也)が優勝。2位にはペンズオイル・ゼクセルGT-R(エリック・コマス/影山正美)というNISMOでの1-2フィニッシュを達成した。この年はNISMOの2台とカルソニックスカイライン(星野一義/本山哲、序盤は星野が欠場し代役は服部尚貴)と計3台のGT-Rが参戦した。
GT300ではダイシンシルビア(大八木信行/青木孝行)が2勝して悲願のチャンピオン獲得。ユニシアジェックスシルビア(井出有治/柳田真孝)はシリーズ4位にとどまった。またC-WESTレッツオシルビア(尾本直史/山本泰吉)も3戦でポイントを挙げた。
 
2002
GT-Rは、伝統である直6エンジン(RB26DETT)を、シーズン途中でV6のVQ30DETTに換装することとなった。この年のGT-RもNISMOとIMPULの3台が参戦。開幕戦から第4戦までがRB26搭載の前期型、それ以降のVQ30搭載の後期型と分けられる。ただし、先行投入として第3戦でザナヴィ ニスモGT-R(の1台のみがVQ30搭載型となった(第4戦は全車がRB26搭載型)。そして、全車がVQ30搭載型となった第5戦は、ザナヴィニスモGT-R(本山哲/ミハエル・クルム)が予選3位、決勝2位と活躍を見せたがこの年は未勝利に終わり、GT-RがGTレース参戦以来続けていた連続勝利記録が10シーズン目に途絶えた。NISMOのもう1台カストロールピットワークGT-R(エリック・コマス/影山正美)、カルソニックスカイライン(星野一義、ブノワ・トレルイエ/田中哲也)も苦戦。第5戦をもって、スカイラインGT-Rとは切っても切り離せないドライバーの星野一義が現役を引退した。
GT300ではユニシアジェックスシルビア(山野哲也/柳田真孝)が3位、ダイシンシルビア(大八木信行/青木孝行)が5位、C-WEST・AUTOSTAFFシルビア(尾本直史/加藤正将、石川朗)はノーポイントに終わった。
 
2003
スカイラインGT-R BNR34 / VQ30DETT
この年はJGTCの車両レギュレーションが大きく変更された。車室部分を残してクラッシャブルストラクチャーを装備すれば、シャシーの前後をパイプフレームで組めることになった。また大口径タイヤを装着するためにフロントフェンダー部分を拡大することもできるようになったため、スカイラインGT-Rのフロントセクションのデザインが大きく変わることになった。さらに、ミッションをシャシー後部に移すトランスアクスルも認められたため、02年から搭載されたV6エンジンと相まって、03年型GT-Rは極めて良好なシャシーバランスを手にした。前年までのストレートの速いR34というイメージから、03年型はうって変わってコーナーリングマシンへと変貌を遂げた。
“強い”だけではなく、“速い”マシンに生まれ変わった03年型スカイラインGT-Rは、開幕戦で9年ぶりにポールポジションを獲得。以後、モチュールピットワークGT-R(影山正美/リチャード・ライアン)が1勝、カルソニックスカイライン(ブノワ・トレルイエ/井出有治)が2勝を挙げる。また、ザナヴィ ニスモ GT-R(本山哲/ミハエル・クルム)が勝利こそなかったものの、8戦中4回の表彰台を獲得してドライバーズタイトルを獲得。参戦した3台すべてが栄冠を手にし、合わせてNISMOがチームタイトルを得た。この年の最終戦をもってR34スカイラインGT-RによるJGTC参戦は終了。レースで勝つことを宿命としたスカイラインGT-Rらしい輝かしいエンディングだった。
GT300では、この年からZ33フェアレディZが投入された。ハセミスポーツ・エンドレス・Z(木下みつひろ/柳田真孝)はコンスタントにポイントを重ねドライバーズタイトルを獲得。またシルビアも、ダイシンシルビア(星野一樹/植松忠雄)がシリーズ5位、C-WEST・AUTOSTAFF(尾本直史、白井剛/加藤正将)もポイントを獲得した。
 
2004
フェアレディZ、デビューイヤーを制覇
タイトルを奪還したスカイラインGT-Rに代わり、GT500クラスにもフェアレディZが投入された。そしてNISMOの2台、インパルに加えてハセミモータースポーツがGT500復帰を果たしZは計4台の体制となった。NISMOの2台はドライバーをシャッフルして#1ザナヴィ ニスモZは本山哲/リチャード・ライアン組、#22モチュール ピットワークZは影山正美/ミハエル・クルム組となった。またインパルの#12カルソニックIMPUL Zはブノワ・トレルイエ/井出有治組で変更なし。ハセミモータースポーツの#3G’ZOX・SSR・ハセミZには金石年弘/エリック・コマス組が起用された。
デビュー戦では、いきなり#22Zのクルムがポールポジションを獲得し#1Zも2位。Zがいきなりフロントローを独占した。しかし天候に惑わされレースは混乱。それでも#1Zがデビューウィンを果たし、周囲に「Z強し」の印象を与えた。 第2戦SUGOでは初期トラブルもあり満足な成績は残せなかったが、第3戦セパンでは#12 ZのトレルイエがPPを獲得。しかし決勝ではバックマーカーとのアクシデントで戦列を離脱となった。そんな中、#1Zが確実に3位表彰台を獲得した。
JGTC初の開催となった第4戦十勝では、#3ZのコマスがPPを獲得したばかりか、2位#12Z、3位#22Zと予選トップ3をZが独占した。決勝ではレースをミスなくまとめた#22Zが優勝。これで影山はJGTC最多勝の7勝目を挙げることになった。#3Zも3位で初表彰台を獲得した。第5戦ツインリンクもてぎでは、各車重量ハンディキャップに悩む中、#1Zが3位表彰台でポイントを加算。この時点でのポイント争いは#3Zが2位、#1Zと#22Zが同点で3位と、まだまだチャンピオン争いは熾烈だった。

第6戦オートポリスでは80kgのハンディウェイトを積んだ#1Zが堂々の2勝目を獲得。これでポイントリーダーに復活しチャンピオン争いから一歩リードすることになった。そして迎えた最終戦鈴鹿、#1Zは予選11位スタートながら、7位でチェッカーを受けチャンピオンに。本山は2年連続、ライアンは初のタイトル確保となった。さらにチームタイトルもニスモが連覇となった。レースでも#12Zが初優勝で#3Zが3位と、Zのデビューイヤーにふさわしい締めくくり方となった。
またシーズン後、アメリカのカリフォルニア・スピードウェイで開催されたオールスター戦では、メインの200マイルレースにおいて、#1Zのライアンが初PPを獲得し、#3Zが初優勝。Zはシリーズ7イベント+オールスターの全8イベントにおいて、PP4回、5勝という圧倒的な強さを見せつけたのだった。
なおGT300では、2台のZがシリーズ6位、7位につけた。また93年以来参戦を続けていたシルビアは、JGTCの役目を終えてこの年限りで去ることになった。

 
2005
2004年、GT500にデビューしたフェアレディZは、オールスター戦を含めた計8戦中5勝という輝かしい成績を残し、ドライバーズ(本山哲/リチャード・ライアン)&チーム(NISMO)タイトルを獲得した。
05年シリーズは、「全日本GT選手権」は「SUPER GT」と名称変更。海外進出を推し進め、またスチュワードを固定するなど独自のルールを採用し、新たなGTシリーズとして生まれ変わることになった。また、予選方式に変更が加えられ、予選1回目の上位が、予選2回目でスーパーラップという1台だけのアタックを行ってグリッドを決定することになり、予選自体も楽しめるようになった。

日産では前年同様3チーム4台が参戦。NISMOでは本山/ライアンのチャンピオンコンビに変更はなく、柳田真孝がGT300からステップアップしてミハエル・クルムと組むことになった。ハセミモータースポーツ、TEAM IMPULも前年同様の体制を敷いた。
また車両は、持ち前の「速さ」に「強さ」を加えたものとなった。04モデルをベースにし、クラッシュなどのアクシデントが起きても冷却系にダメージを与えないよう強度を上げたカウルを採用。さらにドライバーを守るためにドライバー右側のクロスバーに厚手のカーボン板を置いた。もちろんエンジン出力とレスポンスの向上、空力の煮詰めも行われている。

開幕戦、事前の合同テストから好調だったZ勢は、開幕戦・岡山でも#22モチュールピットワークZと#1ザナヴィ ニスモZがフロントローを独占して前年同様の優勝を期待された。しかし#22 Zはスタート直後に他車に接触されコースアウト、代わってトップに立った#1 Zは駆動系トラブルでリタイアとまさかのトラブルに泣いた。そんな中でしぶとい走りを見せた金石年弘/エリック・コマスの#3 G’ZOX・HASEMI・Zが3位表彰台を獲得した。第2戦の舞台は新装なった富士。高地コースによるターボ車の吸気制限を受ける中、#22 Zが2位表彰台と意地を見せた。第3戦セパンでは#1 Zが激しいバトルを制して今季初優勝。しかしその後のレースは重いウェイトハンディのために苦戦を強いられることになった。

第4戦の舞台は、いまだに日産勢の優勝がない“鬼門”のSUGO。しかしブノワ・トレルイエ/井出有治の#12カルソニック インパル Zが堂々のポールポジションを獲得した。ところが、序盤のアクシデントにより2ヒート制となり最初のマージンがなくなったばかりか、第2ヒートのスタートで出遅れ他車にヒットされポジションダウン。さらに#3 Zもマシントラブルでリタイアを喫した。第5戦・もてぎでは、#3 Zこそ他車にヒットされてポジションダウンしたが、#12 Zが3位表彰台、#22 Zが4位、#1Zが6位と後半戦に向けて確実にポイントを重ねていった。

第6戦・富士はまたしてもZに苦しいレースとなったが、#3 Zが4位と意地を見せた。そして迎えた第7戦・オートポリス。常に上位を走行したZ勢は、#22 Zが2位でシリーズ2位に浮上、6位ゴールした#1 Zと共にチャンピオン争いにとどまった。3位は#3 Z、4位は#12 Zと、Z勢が活躍を見せたレースとなった。

最終戦・鈴鹿は雨で周回数が短縮。しかしここでNISMOは序盤にドライバー交代をする作戦を敢行し、結果的にこれが功を奏した。#1 Zは終盤2位に浮上するとトップを猛追。このトップ2台、勝った方がドライバーズチャンピオンというバトルを演じた。しかしわずか1秒5まで縮めたところでチェッカー。ドライバーズタイトルこそ逃したが、NISMOに3年連続のチームタイトルをもたらしたのだった。
GT300のZは1台が増え計3台となった。開幕戦で木下みつひろ/影山正美のベテランコンビが組む#13エンドレス アドバンZがいきなり優勝。さらに第5戦もてぎでは星野一樹/青木孝行の#46Dream Cube’s ADVAN Zが全セッションでトップタイムを奪い、完全優勝を遂げた。また、清水剛/藤井誠暢の#47CCI・リカルデント・ADVAN Zは時おり速さを見せて、若手ドライバーのスキルアップの場となった。